wikipediaは公平か?
おそらくインターネットを使い情報収集をするユーザの多くが目にするであろう、
「wikipedia」このオンライン辞書には「誰でも記事を投稿・編集できる」という特徴がある。
しかし、皆さんあまり気が付いていないかもしれないが、
wikipediaはこと「人物」に関してもかなりのデータベースとなっている。
わかりやすい例で言うと「お笑い芸人」や「歌手」のような
いわゆる芸能界で働く人たちの名前を検索すると、メジャーな
俳優や女優であればかなりの情報が載っている。
しかし、今回はちょっとテーマとしてあげたいのは、
こちらの脳科学者の茂木さんの上げていたエントリーである。
読んでいただければご理解いただけると思うが、
「wikipedia」の「茂木健一郎」の項目が偏見にあふれていた
(現在は修正されたかもしれないが)
また、「養老孟子」さんの項目についても、
偏見があると言う指摘をしている。
これについては、「養老孟子-ノート」の部分で、
茂木さんの激しい感情が見える文章が伝わってくる。
この出来事をみて2点感じたことがある。
1、現在生活し生きている人物を辞典と言われるサイトに収めること
2、それに対して、本人が「間違っている」と言う声を上げること。
まず、1についてだが、「wikipedia」は誰でも編集可能な「百科事典」である。
私も「駅」や「県」、「テクノロジー」などについてざっくりとした情報を得たいときには、
確かに多く利用する。
しかしながら、その「百科事典」と銘打っているものに
現在生活し、仕事をしている人間を乗せることは少々問題がある気がする。
歴史上の人物であれば、問題ないというわけではないが、
実際問題として、現在仕事をしている人などの「誤った情報」が
「wikipedia」に乗ってしまったときにも、
「ある程度の信頼がある情報」として他の人間が捕らえてしまう可能性が高い。
「wikipedia」はweb2.0を代表するような素晴らしい知の集積所ではあるが、
多くは匿名の筆者によって書かれた情報の断片が積み重なってできている。
学術的なことはまだしも、人物に関しては「匿名の筆者のフィルター」
が強く出てしまう事態になるのではないだろうか。
web2.0が生み出した公害?といえなくもない。
2については、そのままであるが、「誤った情報が流れた」際に
以前まではきちんと声を上げる仕組みはできていなかったが、
現代に至っては、こうして「blog」を通して、
「自分の正しい情報」を発信することができている。
それは、私のような一介のブロガーまで伝わり、エントリーを書くと言う
「行動」にさせている。
「web2.0」以前ではほとんど考えられない(一部ではあったかもしれないが)ことだと思う。
その点では、web2.0の益もきちんとあると言える。
「wikipedia」の公平さについて読者の皆さんははいかがお考えになりますか?
もしかしたら、、、このエントリーを読んでる人の中にも
誰かの手によって「wikipedia」に載る日があるかもしれませんよ。