沿岸部を辿るツアー
明日で震災から2年の今日、仙台~石巻~東松島~閖上~南相馬~飯館までを「ITで日本を元気に!」のメンバーで辿りました。
年月の経過とともに沿岸部や福島原発付近の現況がマスメディアに取り上げられることも少なくなっている中、生の情報を発信すると共に、我々自身も現状を再認識して今後の活動に繋げるのが今回のツアーの目的です。
東京/仙台のメンバーを中心に30名の参加がありました。
当日のコースは、メンバーの東出さんのブログに詳しく出ています。
まず向かったのは石巻。
津波の被害と火災に遭った校舎は無惨な姿のままですが、門脇小のグラウンドではスポーツ少年団の子供たちが元気に野球の練習をしていました。
逞しいですね!
この写真は、まさに今現在の津波の被災地を表している一枚なんじゃないかと思います。
ただ、近隣の地区、例えば東松島市大曲地区などは、このような状態。
当然ながら瓦礫はきれいに片付いていますが、何も無い空間が広がり、ところどころに未だ半壊住宅が点在しています。
名取市閖上地区も同様。
日和山に登って周りを見渡すと、以前の町並みは消え去っています。
※3/20の河北新報によると、災害危険区域対象の世帯1,200戸を対象に集団移転先の方針が出たそうです。
閖上の瓦礫焼却施設。
昨年辺りから、沿岸部各地域にはこのような瓦礫焼却施設が次々に作られ、点在していた瓦礫の山がようやく整理されました。
ところで今日は異常に風が強く、砂地が多くなっている津波の被災地区では砂塵が舞っている箇所が多く大変でした。
途中、道の駅相馬に立寄り、名産の凍み豆腐と波江焼きそばを購入。家に帰ったら食べよう。
その後、福島第一原発15Km圏の南相馬市小高区へ。
当メンバーの加藤英太郎さんが立ち上げたBridge for fukushimaと合流して、色々と現状を聞く。
やはり福島第一原発近隣の地区は、まだまだ先が見えない苦しい状況が続いています。
行政からの情報や支援もほとんど無く、孤立無援の状態に置かれているに近いと言えます・・・。
この辺のことは、メンバーの本荘さんのブログ「日本が試されている福島」に詳しいので、そちらを是非お読み下さい。
その後、10Kmのバリアまで。
未だ住民が戻っておらず、夜になると漆黒の闇に包まれる飯館村を経由して福島、仙台へ戻りました。
東日本大震災から2年経った宮城~福島の沿岸部ですが、ようやく復旧できることが復旧したものの、復興/発展に向けてはまだまだ道遠しと言うところです。
ただ、地元で頑張っている方々やボランティアを継続されている方々は、日々明るく前を向いて頑張っています。
今後も関心を失わず、被災地だけの問題ではなく日本の問題として、皆さん一人一人がこの震災のことを考え、行動して行くことが必要なのではないかと考えています。
同行したメンバーの他の記事はこちら。是非お読み下さい。
■林雅之さん「震災から2年経った被災地の「今」を「ITで日本を元気にする!」メンバーで伝えること」