南三陸町の現状と復興支援活動(その1)
ここのところ、毎週日曜日は南三陸町に通っています。
【写真】南三陸町防災対策庁舎@2011.7.3
弊社トライポッドワークスは仙台に本社を構えていることもあり、今回の東日本大震災においては、否が応でも大きく関わらざるを得ない立場にあると思っています。
弊社自身は社員、その家族とも皆無事で、事業の方もなんとか被害最小で切り抜けられたのですが、津波の被害に遭った沿岸部の被害は甚大で、仙台と言う近場にいる企業人として何かできないか、と言う思いから、「仙台から日本を元気に!」、「ITで日本を元気に!」と言う2つの団体を震災直後に立ち上げ、復興に関わる活動をしています。
最近ではより具体的な復興活動をと言うことで、「南三陸リニューアルプロジェクト」と言う活動にも参画しています。
「仙台から日本を元気に!」は、仙台の様々な業種の企業人が集まり、被災地に足繁く通える立場を最大限に活かし、現地へのきめ細かい活動を行いつつ、情報とモノのハブ役になると言う目的、「ITから日本を元気に!」は、全国IT業界の力を借り、ITそのものの力、ITのノウハウや知識を復興に役立てようとする活動です。
それぞれ、活動を支援して頂く寄付金も募っておりますので、一度以下のHPをご覧下さい。
ちなみに、当ブログの題名は、まさにこの活動名となっていますが、震災のことを除いてもここ15年ほど閉塞感が漂う日本をIT業界の力で何とかできないか、と言うのを常々考えており、今回のブログ名にもその願いをそのまま付けたってワケです。
以下、この日曜の南三陸町での活動を報告します。(みなさんに当活動の様子をご理解頂けるよう、今回は2回に分けて詳しく書こうと思います。)
南三陸町は宮城県内でも被害が特に甚大な地域の一つで、1ヶ月前までほとんどの地域が停電していました。
よって、ITの支援は最近になってやっと始まったばかりですが、物資提供を中心に4月からずっと通っているお陰で、避難所で頑張っている方々、復興に向けて尽力されている方々とかなり幅広く知り合うことができ、最近はその関係をベースに具体的な活動に発展してきています。
本日は仙台のメンバーに加え、IT企業経営者2名、コンサル会社のコンサルタント1名も東京から参加してもらいました。
朝一で、まずは登米市の豊里多目的研修センターへ。
この場所は、南三陸町の町外避難所の一つなんですが、同様の避難所がここ登米市(南三陸町の内陸の隣町)に11カ所あります。
なにぶん、町外避難所は物理的な距離もあって情報も滞りがちと言う問題があり、ここのところIT化の支援を行っています。
本日は、以前に貸し出しているソフトバンクのWifiカードを交換に伺いました。
次に南三陸町入谷地区の旧入谷中学校(2009年に廃校)へ。
ここは入谷地区の地域おこしプロジェクト「グリーンウェーブ入谷構想」の拠点なんですが、ここに地元産品の工房なども併設して事務所が新設されるということで、PCを3台とプリンターを2台、加えてWifiを設置してきました。
ちなみにこの工房では、知る人ぞ知る南三陸復興のシンボル「オクトパスくん」が生産されています。
上の写真の通り、かなり趣のある廃校の校舎の中に「オクトパスくん」が大量に並び、その横でみんながIT機器を設置しているのを見ていたら、なんだか秘密基地を作っているような不思議な感覚になりました。
その後、志津川字黒崎の「大朝日」で食事。
南三陸は町のほとんどを流されているのでお店もあまり無いのですが、全然無いワケではなく、いくつかの食堂は開店しています。ここはその一つ。カツ丼がお勧め。
「南三陸リニューアルプロジェクト」の仲間が運営する南三陸町情報支援ポータルサイト(南三陸町の今が集約されています!)の中に、これまた仲間が運営するお店再開情報マップと言うのがあるんですが、ここを見ると再開したお店がマップ上で見れますので、現地に行かれた方は是非地元でお金を使って下さい!
途中、志津川の中心地にみんなを案内。
私の活動の目的の一つは、TVでしか被災地の様子を見ていない方々(特に経営者と若もの)に現実を見てもらうこと、そこに暮らす人々に接してもらうこと、それらを通して復興にかなりの時間が掛かることを理解してもらいつつ、それぞれの立場でできることを行動に移してもらうきっかけをつくることなので、様々な活動の合間に被害状況も詳しく見てもらっています。
ここ志津川は南三陸町で一番大きな町なのですが、一部の高台を除き、町全体が流されています。
瓦礫は以前に比べるとかなり撤去されて空き地になっている場所も多くなりましたが、手つかずの区域もまだまだ多いのが実情です。
ただ、逆に空き地が多くなればなるほど、ここ志津川に1万人の町があったと言う面影も無くなり複雑な心境になってしまいます・・・。
志津川の港近くにある松原公園は瓦礫の仮置き場になっており、凄まじい量の瓦礫が山となっています。
公園に設置されていた蒸気機関車が瓦礫とともに横倒しになっているのですが、これが今回の津波の威力を物語っています。
その後の午後の活動については、続きの(その二)に書かせて頂きます。