なぜ勉強をすべきなのか?
出張続きで、しかも年度末でやることも多いのですが、帰宅して食事を終えたら、中学1年生の息子のテスト結果を見て・・・話をすることにしました。
私:「この結果を見て、どうすべきか、自分で分かるか?」
息子:「興味を持つようにしなければと思う」
勉強に興味を持つことって、かなり難しいことだと思うのです。1教科くらいならともかく、5教科全部に興味を持つことはかなり大変でしょう。私は中学時代だけは成績優秀で、オール5でしたが、興味を持っていたのは数学と理科の一部、社会の一部くらいでしょう。
勉強は興味を持つ持たないにかかわらず、やるべきことなのだ、と私は考えています。
まず、勉強は今のためにやるのではなく、自分の将来のためにやるものだと思います。中学時代に勉強したことがすぐに役立つことはほとんどない気がします。役立つのは、高校・大学・社会人になってからです。したがって、勉強自体に興味を持つのも難しいですし、それでもやるための動機付けが必要だと思うのです。
なぜ勉強をすべきなのか?
私のひとつの答えは、「評価を得るため」です。勉強は全くやらずにできる人はまずいないでしょう。興味も持ちにくいものにもかかわらず、ちゃんと優秀な成績を得ている人は「しっかり努力ができる人」という評価を得られるものだと考えています。その評価により、高校・大学を選ぶことができ、就職先を選択できるのだという考え方です。
社会人に成り立てでは、社会人としての成果は当然ながらありません。仕事は突然一人で稼げるようになるわけではなく、周りからチャンスを与えてもらってできるようになっていくものです。採用はもちろん、就職後の仕事においても、まずは周りからチャンスを与えられるのです。その際に、その人がどのくらいできそうかという評価によって与えられるチャンスが違ってきます。優秀そうな人には大きなチャンスが与えられるでしょうし、駄目そうな人にはそれなりのものしか回ってきません。その評価のひとつが「学歴」なのだと考えるのはどうでしょうか。
学歴は基本的には平等なチャンスがあり、努力によってより高い学歴を得ることも可能です。高い学歴によって社会人になる際のひとつの評価が得られ、それは社会人として年を重ねてもずっと評価のひとつとして見られ続けるものなのです。
もちろん、評価には学歴以外にも様々な要素がありますし、挽回することも可能です。社会人になった後は、仕事自体の評価がどんどん重視されるようになるでしょう。しかし、何事も挽回は最初からコツコツ積み重ねることよりはるかに大変ですし、遡ってやり直すことはできません。学歴は「その時その時にしっかりやるべきことをやってこられた人」として評価されるものなのです。
評価が高い人ほど大きなチャンスがもらえますし、選択する幅も広くなります。勉強で学んだこと自体が役立つこともありますが、「コツコツと勉強をしてくることができた人」という評価が社会で役に立つのです。
勉強で一番重要な段階は、私は高校受験だと思います。中学までは義務教育であり、高校から成績によって道の選択ができるようになるからです。進学校で学ぶメリットは、授業のレベルが高いからではありません。周りのレベルが高いことがポイントなのです。私は高校時代すっかり勉強から興味がなくなり、ぐれていましたが、それでもそれなりにまともな社会人としてやってこられたのは、高校時代のクラスメート達のレベルが高かったからでしょう。先生になんと指導されようと聞く耳を持たないような時期でしたが、周りがちゃんとしていたから、いつの間にか引っ張られていたのです。その後、レベルの低い大学に進み、浦高というだけで部活(軽音楽部)で仲間はずれにされるほどの威力(?)を持ち、社会人になった後も浦高卒というだけで見られ方が違ったのです。そういう状況に自分を追い込まれることと、クラスメートといつか再会するときに恥ずかしくない自分にならねばと考えることで、社会人としても歯を食いしばって上を目指してこられたのだと今は振り返っています。学生時代の勉強が具体的に役立っていることはそれほどないかもしれませんが、浦高卒という評価自体が役に立ち、自分を追い込むことにも役立ってきたのだと思います。
ここまで細かくは息子に話しませんでしたが、代わりに、学歴で社会人になるときの評価がある程度行われ、その先の道の選択肢も変わってくるのだということで、中1の今ならまだまだ挽回も楽だし、もう少し自分の将来をまじめに考え、今やるべきことを考えるようにと話しました。
実は成績が良くなるにつれ、勉強自体も楽しくなるもので、中学時代の私は、テストはゲームと同じ感覚でした。人間、できるようになると楽しく感じるようになるものです。そこまで行ってくれれば後は勝手にやるようになるのでしょうけれど、どうなることやら・・・・