心配性より楽観的に
心配性と楽観的なのはどちらが良いかという話を個人的な考えで書いてみようと思います。
仕事でも人生でも、不確定要素はあまりにもたくさんありますから、心配な気持ちになるのは当たり前なのですが、心配して何か解決できることであればともかく、どうにもならないことを心配し続けるのは無駄だと思うようになりました。思うようになったというより、そういう相談を受けて、そう答える自分に気がついた、という感じですが。
私自身も若い頃は胃が痛くなるような心配をたくさん抱え、どうしようもないので神頼みまでしていた時期も結構長くありました。私の仕事人生で一番苦しかったのは、「仕事がなかったとき」です。やることがないという意味ではなく、ノルマを稼ぎ出すのに必要な仕事が足りていないという意味です。事業部のメンバーの生活もかかっていますから、きちんとノルマを果たして、さらにプラスにして還元しなければ、という状態なのに、どこを探しても、誰に相談してもプラスにできる仕事が見つけられないことが何度もありました。もちろん良いときもたくさんありましたが、半年単位で仕事が集まるかどうかの不安と戦い続けるのは本当に辛いことでした。
それに比べれば、目の前にやるべきことがあるのはとても幸せなのです。やるべきことに悩めば良く、それは基本的に解決できる可能性が高い課題です。他から何かをしてもらうのを探す・待つ状態より、自分で何とかすれば良いという状態は、はるかに楽な状態です。
私の場合、社会人デビュー直後からしばらくはCADシステムの開発販売をしていましたが、ほとんど成果は出せず、その後、派遣や下請け仕事で稼ぐようになり、かなりの成果も出してきましたが、苦しいときもありました。もっと自分たち主体で稼ぐようにしなければと、IT製品開発販売事業を立ち上げて今に至るわけですが、今はやるべきことがありすぎて大変な状態です。でもそれは私にとって、仕事を探さなければならない悩みに比べれば、とても幸せな状態なのです。
そんな感じで喜びも苦しみもいろいろと味わってくると、心配性だったのが、楽観的になってきた気がします。おそらくそうでなければ徐々に上がっていく自分の立場に潰されるからかもしれません。あるいは楽観的になれるような仕事を組み立てるようになったのかもしれません。それと同時に、長年の積み重ねでできた多くの仕事仲間に恵まれているおかげで、本当に大変なことになっても相談できる仲間もいますし、皆同じように乗り越えているのに励まされるようになったのだと思います。
なにも備えをしない楽観は意味がありませんが、やるべきことをやっているという状態の上での楽観はとても大切で、しかも、大抵は過ぎてみれば「なんとかなっている」ものなのです。それに、心配しすぎて一歩を踏み出せずにいるより、「何とかななるさ(本当は、何とかするさ、って感じですが)」と、やってみる方が得るものはとても多いものです。最近ちょっと悩みがちだな、と思ったら、周りの人にガス抜きしてもらったり、あるいはスポーツなどで発散させてみたりして、ため込まないようにするのが良いですね。