金銭感覚の変化と仕事規模の変化など
仕事をしていると、「見積」という作業が必ずあると思います。見積とは、金額・量・期間・行動を前もって概算すること、と説明されています。まあ、多くの場合、仕事を請ける際に、いくらで対応するかを提示することになります。
私は、昔から「見積」という作業が嫌いで、その背景には、「開発仕事はやってみないと分からないのに、厳密な見積などできるはずがない」ということもありますし、「提示したところで、値引き交渉があるなどして、何度も作り直しがある」ということや、「見積もっても受注につながるとは限らない」ということもあります。まあ、一言で言えば、面倒なことは嫌いなのです。ざっくりと、「いくらでやってくれ」と言われれば、それで十分という気がしているわけです。
とはいえ、そうもいかないので、今日も見積書を作ったり、内容の調整をしたりという作業をいくつか行い、他に打ち合わせが数件入っていたので、開発仕事はほとんどできなかったという感じでした。
そんな愚痴はどうでもいいのですが、見積をしたり、業績の数値を見たりしていて、自分自身の金銭感覚の変化と同じように、仕事の規模感覚の変化というものもあると感じています。
子供の頃は、1000円といえば大金で、1万円の買い物など、相当気合いを入れないとできなかったものでした。それが大学生くらいになると、アルバイトをしたりして、10万円くらいの買い物は頑張ればできるようになります。社会人になれば、20万円くらいはボーナスや、あるいは少し努力すれば買える金額となりますが、結婚すると、小遣い制になるなどして、また自由になるお金が減ったりします。いずれにしても、1000円くらいならそれほど考えずに使えるようには変化しているわけです(うーん・・・我ながら小さい人間という気もしますが・・・)。
1件あたりの見積金額も、仕事の種類によって大きく違うもので、CADシステムの開発販売をしていた頃は、500万円以上するCADを販売していましたが、出向に出たり、小さな受託仕事をしていた頃は、100万円以下の仕事が多く、その後、受託でも1案件で2000万円くらいの仕事もするようになったりして、さらに、IT製品を始めると、また数万円の製品を販売したり、あるいは数百万円のライセンスを販売したり・・・。
このように、自分自身の基準が変化するとともに、規模が大きいと感じるか、小さいと感じるかは、結構変わるものなのです。少なくとも、私がずっと関わっているIT関連の仕事であれば、製品単価が数万円というのはともかく、開発仕事で1案件が数万円というのは、はっきり言って「見積もりしたり、伝票処理をしたりするだけで、面倒なだけで、やらないか、ただで対応する方が楽」と思うことも多いわけです。開発仕事は見積自体が結構大変ですので。最低でも、1案件で100万円くらいの規模でないと、手間がかかるばかり、という印象です。そういう感覚でいると、他の分野の仕事で、数万円の見積や伝票処理をしているのを見ると、「そんなに小さな規模の仕事で手間ばかりかけて・・・」と思ってしまうのですが、そういう仕事は数で勝負していたりすることも多く、基準が違うので、素直に比較はできないものなのです。
それぞれの仕事ごとに、見積の手間、伝票処理の手間は違うもので、どのくらいの規模が割に合うかどうかというのは、仕事によって変わってくるものだと思うのですが、同じ仕事を続けているのであれば、何となく、子供から大人になったときのように、自分が対応する仕事の規模が大きくなって行ってくれている方がうれしい気がします。特に、デフレ時代の中で、単価・規模が上がっていくというのは、それなりに努力している結果ではないかと私は考えています。ということで、見積が面倒、と思うことも、悪いことではないのではないかと、自分を正当化してみたりしているのでした。