「頑張ること」と「結果」
我が家では中三の娘が受験勉強を頑張っています。しかし、このくらいの年頃はなかなかむずかしいもので、半分子供で半分大人という難しい精神状態と、さらに、受験勉強という試練が重なり、親子関係も大変な状態になりやすいものです。まあ、親子関係はいつになっても大変という気もしますが・・・。
過ぎてみれば、ほとんどの試練は大したことがないもので、乗り越えたと思えばもっと苦しい試練が待っているものです。それを知っている親からは「こんなことも分かっていないのか?」という感じの言葉が発せられ、頑張っている子供は「こっちだって頑張っているのにわかってくれない!」と、喧嘩になるものです。
今日もいつものように妻と娘の言い合いが始まりました。大体パターンは決まっていて、妻は「こんな話があったよ」とアドバイスをすることから始まり、娘は「それはわかるけど、私だってこうやって頑張っている」と自己防衛的な応答をし、「そうやって今の状態を正当化しようとするから伸びない」となり、「良くなったところもあるじゃない!」「またそうやって現状で満足しようとする」「どうして頑張っているのをわかってくれないの!?」「もっと良くなる方法を話しているのになぜ素直に聞かない!」・・・
・妻は一般論をアドバイスしている
・娘は自分のがんばりを認めて欲しい
話がかみ合うわけがないのです。
まあ、私からすると妻のアドバイスの仕方も、もう少し子供の気持ちをわかって話し方に工夫をすれば良いのに、と思うのですが、女同士は難しい(?)ようです。アドバイスして険悪なムードにするくらいならしない方がいいのに、と、私は毎回思っています・・・。
根本的なところで考えると、「頑張っている」ことと「結果」を見せろということなのかなぁ、と感じます。子供は「頑張っているのに」と思い、親は「結果が伴っていない」と思うのでしょう。私はどちらかというと勉強は本人の問題というか、自主性に任せたい方なのですが、それはさておき、この問題は受験生の時期だけの話ではなく、一生ついて回る話ですね。
仕事でも、メンバーは「がんばりを評価して欲しい」と思い、上の立場の人は「結果を出せ」と思うわけです。そういうことを考えると、子供のうちから「結果でものをいう方が簡単確実」と理解しておく方が外れは少ないのではないかと思うのでした。
ちなみに、妻が今日、言いたかったのは「できる人は、より難しい問題に挑戦している。同じレベルの問題を繰り返していては伸びない」という感じのことでした。娘は「自分だって難しい問題にも挑戦している」と反論したのでした。
私自信、中学までは勉強ができたので、「できる人」の立場も一応経験していたので、妻の言い分はよくわかります。95点取っても「5点もミスした」と悔やみましたし、100点取っても「問題が簡単だっただけだ」と思いました。難しそうな問題を選んで取り組んでましたし、それがゲーム感覚で楽しかったのです。長時間勉強しなくても、そういう姿勢でやっていればレベルは高くなるものです。
一方、高校では完全に勉強を放棄し、落ちこぼれになっていたので、できない方の立場もよくわかります。まだ人生終わっていないのでわかりませんが、勉強ができれば良いというものでもないことは確実ですが、できないよりはできた方が良いことも確実だと思っています。サボった分はあとで必ず取り返す苦労が待っていることも真実です。
今日、髪の毛を切りに行きました。毎回、美容師の方(店長さん=経営者でもある)といろいろな話をするのですが、学生時代の話になり、「勉強しなかったといっても良い大学に行ったのでしょ?」と言われ、「いやいや、7校受けて見事に一番下のランクの大学しか受からなかった」「確かに、たまたまレベルの高いところに合格って聞かないね」という話をしていました。「たまたま失敗して悪かった」ということはあっても、「たまたま運良く点数が良かった」というのは滅多にないと思うのです。世の中、やっぱりちゃんと頑張った人が良い結果に結びつくことが多いと思います。
まとまりがない感じですが、
・アドバイスするなら、相手が頑張ろうと思えるように話そう
・学問に王道なし
ということで。。