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プログラミングでメシが食えるか!?

番長と遊ぼう:あの夏の思いで

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今回のばんちょ〜からのお題は「あの夏の思いで」。うーん、難易度高いですね。休日に書くなら遊びネタもあるのですが、平日に書くので、仕事ネタで書いてみましょう。

その1:名古屋夏の陣
私の会社では、ゴルフ練習場向け機器の開発販売を行っている部署があり、その1発目の工事が、1994年(平成6年)7月のことでした。まだ私は28歳で独身(とはいえ、すでにかみさんと同棲してました)。
1発目ということで、半年くらいかけて広い倉庫を借り、機材を組み立てて試験・調整などを行って、いよいよ現場搬入、ということで、私は当時CADシステムの開発販売を担当していたので、そこまでは直接あまり関係してなかったのですが、人手が必要ということで参加しました。まずは2トントラックと4トントラック、さらにもう一台あった気がしますが、それに自分たちで機材を積み込み、徹夜で名古屋まで運転していき、工事現場に到着しました。できるだけ設置場所に近いところに降ろそうと、トラックを動かしていると、なんと!工事現場は地面が緩くて、ぬかるみにはまってトラックはビクとも動かなくなってしまいました。他の工事のプロの方々の呆れた視線を感じつつ、ショベルカーの人に頼んで引っ張り出してもらうということから、現場がスタートしました。
マンションの1室を借り、クーラーもない部屋に雑魚寝状態で、しかもその年の知多半島は水不足。風呂に入るのも大変でした。そうこうしているうちに、オープン間近になったのですが、実は問題だらけで、3時間も稼働させるとそこら中で不具合が発生する状態でした。オープン前の4日間は一睡もせずに工事現場で試行錯誤しましたが、そもそも仕組み的に無理があるということで、競合他社の機構を一部入れるしかないだろうということになりました。
オープン当日は一度マンションに戻り、3時間だけ仮眠して、オープニングセレモニーが終わったあたりで現場に戻ると、予想通り、方々で不具合が発生して、自動でボールを搬送する仕組みは壊滅状態。
結局、競合他社の仕組みに一部入れ替えるまで、メンバーが交代でお客さんに球配りをすることになりました。練習場のお客さんに、「君、あの蝉がうるさいから何とかしてくれ!」と言われたりしながら、朝から晩まで球配り。メンバーは良く耐えたと思います。
その後、一部の機材を入れ替えて、何とか運用できる状態にして、名古屋夏の陣は静かに幕を閉じたのですが、私はそのときに「これで会社が潰れるな」と思ったものです。自分たちの経費も相当でしたが、さらに他社の機材に入れ替えたり、相当大変だろうと思ったのでした。
実際は、潰れずに、さらに会長(当時は社長)の執念で今のシステムのベースになっている非常に完成度の高いシステムを開発し、ゴルフ練習場向けシステム事業はその後かなりの実績をたたき出したのでした。失敗から学ぶことは大きいということを学んだ、ということと、人間、4日間寝なくても何とか働ける、と実感できた夏でした。
でも、真夏に4日も風呂に入らないと自分が臭くて・・・コンビニに入るのがとても申し訳ない感じだったのを今でも覚えています。

その2:苫小牧夏の陣
2004年(平成16年)の夏の話なのですが、ある工場のシステムの更新の一部を当社が担当していました。すでにその1年前くらいから月に1回打ち合わせを行い、現地確認などを行い、2004年正月は苫小牧で新年を迎えたのですが、入れ替え本番可動は2004年夏です。
工場内のメインのシステムなので、システムの規模もかなり大きく、その中で我々は通信関連を担当していたのですが、通信は直接ユーザが触れる部分ではないので、事前の確認などではほとんど話題にしてもらえず、画面・帳票の検討ばかりで、我々はほとんどぶっつけ本番に近い感じでした。まあ、そもそも工場で動いている製造装置と、事前に通信テストを行わせてもらえることはまずなく、キャプチャしたデータと、古い資料を頼りにシステムを開発しました。
6月に私ともう一人のメンバーで苫小牧に向かい、予定では2週間ほどで落ち着かせて戻るという感じでしたが、これまたつないでみてはじめてわかった問題が山のようにあり、さらに「ここは後からでも良いよ」といわれていた部分を、本稼働と同時に動かせ、と言われたりで、本稼働前の3日間は一睡もせずに作業しました。名古屋夏の陣では4日間眠らなかったのですが、デスクワークがメインで3日間はかなり辛いものがあり、最後の方は1文字キーを打つと意識がなかった、というくらいでした。
結局プロジェクト全体が大問題になり、元請けの偉い方々も乗り込んできて、いったい現地に何人いたのだ?というくらい人が増え、開発・テスト・リリースを繰り返しました。特に定時処理はしくじると再送するのが非常に困難なデータで、ログを監視しながらまずいところを見つけると、目にもとまらぬスピードで修正して入れ替えたり、製造ラインは30分以上止めると億単位の損失が出るということで、不正データで装置が停止した連絡が入ると、刑事ドラマのような激しさでログの解析をしたものです。
私はその頃、もう一つ自分がどっぷり関与している案件があり、疲れてホテルに戻る途中でそちらからTELが入り、今夜のデータ更新で問題がでないか、監視してくれ、と言われて、ホテルからリモートで監視したり、「日帰りで良いから東京に来て」と言われて、最終便で東京に向かい、徹夜で作業して、また苫小牧に戻る、というような感じで、一夏で何往復したのかわからないくらいでした。そちらの案件も大問題プロジェクトの火消し役でしたので、私の代わりに他のリーダークラスを苫小牧に向かわせたり、アルバイトの学生を現地に行かせたり、皆の共同作業で何とかどちらの案件も落ち着きはじめたのはすでに10月も近づいた頃でした。もちろん一日も休みは取れず、一度飛行機の中で意識を失い、気がついたら酸素マスクをあてて、フライトアテンダント2名に付き添われて横たわっていたこともありました。
当時新人だった、私と苫小牧に同行したメンバーは、いまでもその系列の仕事のリーダーを務めていますし、アルバイトだったメンバーは入社して製品関連のリーダーに成長してます。
やっぱり、苦労は人を育てます!

「夏の思いで」と言われてすぐに出てくるのは、今でもこの2つです。人間の限界とまではいかないまでも、肉体的にも大変でしたし、精神的にも苦労は大きかったものです。でも、そういう経験があるからこそ、もともと上手くいくように考えられるようになりますし、多少苦しくても、あれに比べれば、と思えるようになるものです。
すでに私も結構年を取りましたので、この先さらに同じような苦労はあまりしたくないのですが、メンバーは先日もIntraGuardian2リリース前後にハードワークしていました。同じハードワークでも、やらされ感の強いハードワークではなく、自ら何とかしたいと思ってやっているハードワークにこそ価値があると思います。

偶然ながら、名古屋夏の陣は28歳、苫小牧夏の陣は38歳で、ちょうど10年開いていますね。48歳の夏は穏やかに過ごしたいものです。

そんな私の夏の思いででした。

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