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日々の「ハッ、そうなのか!」を書き留める職遊渾然blog

多数決という宗教

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多数決が正しいということは、小学校でわれわれの頭の中に叩き込まれる。とくに、公的な問題を人気投票で決定してきた歴史を持つフランスやイギリス、米国などの西側の国々では、多数決はほとんど宗教である。人々のうち七五パーセントが信じていれば、質問をすることや、「ちょっと待って。間違っていないか?」と囁くことさえも、ほとんど冒涜に近い。

― マックス・ギュンター 『マネーの公理 スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール

多数決は宗教である。ハッとする記述でした。著者によれば、デカルトは『「難しい問題に関しては、票を数えることは有効ではない。真実は、多くの人によってよりも、数少ない人によって発見されてきた」』と言ったそうな。

マネジャー向けの研修では、時間のあるときに「意見を一つにまとめてください。ただし、多数決では決めないでください」とお願いすることがあります。ではどのような決めるのがベストなのか、僕も答えを持っていないので毎度出たとこ勝負になります。しかし、さっと多数決で決めるよりも豊かな論点が提供され、議論も深まることが多いように思います。

Comment(1)

コメント

しろうと音楽家

多数決は、決議に参加している人たちだけに影響のあることを決める場合には、比較的よい方法なのですが、決議に参加していない人の生活や運命に関わる事柄を決める場合や、決議でどうにかできるわけでない真理について多数決で決めるというのは、非常にマズイことになる可能性があります。

ひとつの極端な例としては、アメリカで進化論に対して「選挙で選ばれたわけでもない学者どもが勝手に決めたこと。反民主的な理論だ」という批判を浴びせる人がいます。(こんなことを言う人はまれです。念のため)
でも、進化論が正しいかどうかとか、天動説と地動説のどちらが正しいかというのは、多数決の決議に参加する人にどうにかできることではありません。

一方、「進化論や地動説をわが子に教えるべきかどうか」、という判断であれば、多数決の導入は必ずしも間違いではありません。学説が出てまもない時期であるなら、「まだ時期が早すぎる。ちゃんと証拠が集まってから教科書に入れよう」というような決議を多数決でやっても悪くはありません。それは、決議に参加する人たちの思想信条で決めて構わないことです。

上に書いた例は、たまたま我々が進化論や地動説は真理に近いはずだという予備知識があるのでいいのですが、マーケティングやユーザビリティ、技術革新の見通しなど、誰にも本当のことはよく分からず、しかも、多数決をとれば真理に近い結論が出るとは限らないことというのは身近の仕事のなかにもたくさんあって、それらについては、多数決が、少数の専門家の分析や、特定のリーダーの直感よりも正しいとはかぎりません。

多数決は「正しいか正しくないか、真理を見つける」ものではなく、「当事者にとって妥当か妥当でないかを、選択肢から選ぶ」ためのものです。

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