知識偏重は良くないにしても結局のところ知識は重要だよという話
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こんにちは。文書作成能力向上トレーナーを本職としている開米です。(原子力や電力についてはアマチュアです。念のため)
さて、今日はかなり前から「そりゃ違うだろー」と違和感を持っていたことについて書きます。というのはたとえばこういう主張についてです。
こういう主張を、たまに、というかちょくちょく見かけますが、それを見る度に「こういう話を鵜呑みにして、知識を軽視する風潮が広まったら危ないなあ・・・」と私はずっと思っていました。
世の中には、「あらかじめ知っていないと、嘘を嘘と見抜けないこと」が山のようにあるんです。
適当なキーワードを入れてネットで検索してみても、間違った情報ばっかりヒットするケースも非常に多いもの。
たとえば私が先ほどあるキーワードでグーグル検索をかけてみたところ、検索結果の最初の10件のうち、8件は間違った情報を力いっぱい主張しているサイトでした。
こういう「検索結果」を得たところで、何の知識も無い人が「正しい情報」にたどり着くのは難しいです。自分が事前にある程度知識を持っていて、相場観のある分野でなら「なんだこいつらデタラメばっかりかましてやがるな」とわかりますが、知らない分野ですと「みんながそう言っているから、きっとそうなんだろう」・・・・・という判断をしてしまいがちです。
そうは言っても、人は誰であってもすべての分野について「事前にある程度知識を持つ」ことはできません。だからこそ、「知らない分野についてはプロの意見を聞く」姿勢を持っておきたいと思います。自分が何を知らないかを自覚して、知らない分野については詳しい人の話を聞くべきなんです。そうしないと、まったく実現性のないトンデモな話を信じ込んで、自分のビジネスや生活に影響する重大な判断の間違いをしてしまうケースが増えます。
たとえば・・・原子力とは違いますが、エネルギーに関わる話で、わりと身近な製品として出てきそうな、ある商品の企画を最近見たことがありました。
その商品というのは、簡単に言うと「ホットコーヒーの熱を利用して電気を起こし、それでスマホを充電できるモバイル発電機」というものでした。
たとえばスタバに行ってマグカップに熱々のコーヒーを入れてもらい、そのカップをモバイル充電器の上に載せると発電してスマホを充電できる、というわけです。
私がその企画書を見たのは一種の投資募集サイトで、その商品コンセプトに賛同した一般の個人からの投資を集めて商品を開発し、出資者には相応の配当をする、という、いわゆるクラウドファンディングのサイトでした。そして、私の知人も含めて「うわ、これいいね! ぜひ欲しい」というコメントをしている人が大勢いました。
この話、定性的な理屈としては間違ってないんです。温度差があれば発電できる、のは確かです。
ただし、それが使い物になるかどうかは別問題。
私がその商品の企画書を見たとき、この種の商品でもっとも重要なある情報が欠けていることに気がつきました。それは、発電可能な電力量の記載がない、ということです。
ホットコーヒーの熱で発電してスマホを充電しよう、というのであれば、マグカップ一杯のコーヒーでスマホを100%・・・・とは言いません。緊急避難的に使うとしてもせめて10%ぐらいは充電できて欲しいところです。それが出来るかどうか、を判断するために必要な、「発電可能な電力量の記載がない」。
だいたい、こういう「重要な情報を書いていない」という場合、都合が悪いから書いていない、ということが多いものです。
というわけで、怪しいなあ、と思った私はある計算をしました。マグカップ一杯のコーヒーの温度が80℃から40℃に下がるまでの間に放出する熱量を計算し、それを電力に変換したとして、どれぐらいの電力量をひねり出せるかをざっと概算してみたところ、使っている発電機の熱効率や変換ロスをもろもろ計算に入れると、どう見てもスマホの電池の1%分ぐらいをやっと充電できるかも、という程度でした。
スタバのコーヒーを完全に冷めるまで放置して、やっと1%充電できるかもしれない、というモバイル発電機に、あなたは投資しますか?
普通はしないでしょう。
しかし、これを見抜くためには「知識」が必要です。
商品の企画書を見た時点で、「うわ、うさんくせえ」と感じ取るためには、エネルギー変換の熱効率に関する知識が要るわけです。
もちろん、そんな知識を誰もが知っているはずはないので、知らないこと自体は別に責められるような話ではありません。自分がそれを知らないのであれば、知っている人を探して意見を求めればいいだけのことなんです。本来は。
ですが、「知識」を軽視する人はそれをしない。
しないと、「一見、すごそう」な演出に目がくらんで、どう考えても使い物にならない案件に投資をしてしまったりします。個人のお金でそれをするなら当人が損するだけの自己責任ですが、それを国家の政策として遂行されたりすると、国民のすべてに負担がかかる、とんでもない話になります。
だから、「知識」は軽視しないで欲しい。私は切にそう願います。
どんな世界にも、プロフェッショナルというのはいるので、プロの話をきちんと聞いてほしいと思います。
この2年間、電力についてはその「プロの話をきちんと聞く」ことができていませんでした。あまりにも異常な事態です。いいかげんに目を覚ますべき時が来ているのではないでしょうか。
さて、今日はかなり前から「そりゃ違うだろー」と違和感を持っていたことについて書きます。というのはたとえばこういう主張についてです。
「今どきのネット社会では、知識は検索すれば手に入る。知識を覚えることに必死になるよりも、知識を活かす知恵が大事だ」
こういう主張を、たまに、というかちょくちょく見かけますが、それを見る度に「こういう話を鵜呑みにして、知識を軽視する風潮が広まったら危ないなあ・・・」と私はずっと思っていました。
世の中には、「あらかじめ知っていないと、嘘を嘘と見抜けないこと」が山のようにあるんです。
適当なキーワードを入れてネットで検索してみても、間違った情報ばっかりヒットするケースも非常に多いもの。
たとえば私が先ほどあるキーワードでグーグル検索をかけてみたところ、検索結果の最初の10件のうち、8件は間違った情報を力いっぱい主張しているサイトでした。
こういう「検索結果」を得たところで、何の知識も無い人が「正しい情報」にたどり着くのは難しいです。自分が事前にある程度知識を持っていて、相場観のある分野でなら「なんだこいつらデタラメばっかりかましてやがるな」とわかりますが、知らない分野ですと「みんながそう言っているから、きっとそうなんだろう」・・・・・という判断をしてしまいがちです。
そうは言っても、人は誰であってもすべての分野について「事前にある程度知識を持つ」ことはできません。だからこそ、「知らない分野についてはプロの意見を聞く」姿勢を持っておきたいと思います。自分が何を知らないかを自覚して、知らない分野については詳しい人の話を聞くべきなんです。そうしないと、まったく実現性のないトンデモな話を信じ込んで、自分のビジネスや生活に影響する重大な判断の間違いをしてしまうケースが増えます。
たとえば・・・原子力とは違いますが、エネルギーに関わる話で、わりと身近な製品として出てきそうな、ある商品の企画を最近見たことがありました。
その商品というのは、簡単に言うと「ホットコーヒーの熱を利用して電気を起こし、それでスマホを充電できるモバイル発電機」というものでした。
たとえばスタバに行ってマグカップに熱々のコーヒーを入れてもらい、そのカップをモバイル充電器の上に載せると発電してスマホを充電できる、というわけです。
私がその企画書を見たのは一種の投資募集サイトで、その商品コンセプトに賛同した一般の個人からの投資を集めて商品を開発し、出資者には相応の配当をする、という、いわゆるクラウドファンディングのサイトでした。そして、私の知人も含めて「うわ、これいいね! ぜひ欲しい」というコメントをしている人が大勢いました。
この話、定性的な理屈としては間違ってないんです。温度差があれば発電できる、のは確かです。
ただし、それが使い物になるかどうかは別問題。
私がその商品の企画書を見たとき、この種の商品でもっとも重要なある情報が欠けていることに気がつきました。それは、発電可能な電力量の記載がない、ということです。
ホットコーヒーの熱で発電してスマホを充電しよう、というのであれば、マグカップ一杯のコーヒーでスマホを100%・・・・とは言いません。緊急避難的に使うとしてもせめて10%ぐらいは充電できて欲しいところです。それが出来るかどうか、を判断するために必要な、「発電可能な電力量の記載がない」。
だいたい、こういう「重要な情報を書いていない」という場合、都合が悪いから書いていない、ということが多いものです。
というわけで、怪しいなあ、と思った私はある計算をしました。マグカップ一杯のコーヒーの温度が80℃から40℃に下がるまでの間に放出する熱量を計算し、それを電力に変換したとして、どれぐらいの電力量をひねり出せるかをざっと概算してみたところ、使っている発電機の熱効率や変換ロスをもろもろ計算に入れると、どう見てもスマホの電池の1%分ぐらいをやっと充電できるかも、という程度でした。
スタバのコーヒーを完全に冷めるまで放置して、やっと1%充電できるかもしれない、というモバイル発電機に、あなたは投資しますか?
普通はしないでしょう。
しかし、これを見抜くためには「知識」が必要です。
商品の企画書を見た時点で、「うわ、うさんくせえ」と感じ取るためには、エネルギー変換の熱効率に関する知識が要るわけです。
もちろん、そんな知識を誰もが知っているはずはないので、知らないこと自体は別に責められるような話ではありません。自分がそれを知らないのであれば、知っている人を探して意見を求めればいいだけのことなんです。本来は。
ですが、「知識」を軽視する人はそれをしない。
しないと、「一見、すごそう」な演出に目がくらんで、どう考えても使い物にならない案件に投資をしてしまったりします。個人のお金でそれをするなら当人が損するだけの自己責任ですが、それを国家の政策として遂行されたりすると、国民のすべてに負担がかかる、とんでもない話になります。
だから、「知識」は軽視しないで欲しい。私は切にそう願います。
どんな世界にも、プロフェッショナルというのはいるので、プロの話をきちんと聞いてほしいと思います。
この2年間、電力についてはその「プロの話をきちんと聞く」ことができていませんでした。あまりにも異常な事態です。いいかげんに目を覚ますべき時が来ているのではないでしょうか。
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