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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

原子力論考(59)大衆扇動のための4点セット(コミュニティ・シリーズ3)

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 原子力論考のコミュニティ・シリーズその3です。ようやく、原子力の話が少し出てきました。が、まだ少しだけです。

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 「統制を失った集団には別な統制の網がかかる」ということを前回書きました。
 1945年の第二次大戦終結後、まもなく日本においてもこのことが大きな社会問題として浮上してきます。
 アメリカ軍占領下の日本においてGHQが進めようとした民主化政策のひとつに労働組合の育成があり、多くの労組が結成されました。しかしその運動は1950年代には反政府・反米軍色を強めるようになります。
 この背景には「労働運動」そのものが共産主義運動と結びつきやすかったことがあります。前回書いたように、都市労働者は既存の伝統的社会秩序と切り離されているため、別種の「統制の網」に取り込まれやすく、そこにスルリと入り込んだのが共産主義思想だったわけです。そしてこの「共産主義運動」は、「万国の労働者よ、団結せよ!」という共産党宣言の結びも象徴しているように、「労働者」という社会階級規定で「万国」に呼びかけるスタイルを取りました。
 マルクス/エンゲルスは「科学的社会主義」と称して、

社会が資本主義から社会主義・共産主義へと発展していくのは「科学的必然」である
プロレタリアート(労働者階級)が権力を握るプロレタリア独裁体制こそが正義である
それは科学的真理であって世界全体がその体制で覆われるのが歴史の必然である

 という主張を展開しました。こういう考え方の延長線上で、実際に「世界革命の実現を目指す組織」として作られたのがコミンテルンです。コミンテルンは1919年3月に結成され、その日本支部として1922年に結成されたのが日本共産党です。

 コミンテルンはなにしろ「世界革命の実現を目指す組織」であり、「各国の革命運動を支援する」ことがその役割でした。→ロシア革命の成功と世界革命支援
 ↓こんな感じですね。



 コミンテルン自体は1943年に解散しましたが、その中心にあったソ連は1945年以後、東西冷戦の一方の主役として世界各国への影響力の拡大戦略を継続します。コミンテルンがソ連になっただけで、基本的な構造は同じです。

 「世界革命」を実現するためには、各国の「既存体制」の力を弱める必要があります。そのため、コミンテルンやソ連の支援を受けた各国の反政府的な組織は、それぞれの国内で「既存体制」の力を弱めるためのさまざまな反対運動を繰り広げました。当人達がそう自覚していたかどうかは「?」ですが(自覚していない者が多かったと思いますが)、結果的にはそういう活動でした。
 そのために攻撃対象になったのが

    日本・アメリカ両国政府
    自衛隊・米軍
    大企業(特に重工系、エネルギー、インフラ系)


 です。60年と70年の安保闘争を含む、当時の左翼運動はそういう文脈の中で見る必要があります。

 とはいえ、いくらソ連がそうした戦略で各国の反政府組織支援をしていたとしても、それだけで運動が激化することはないはずで、60年安保のように激化したのはその分、「不満を持つ人々が存在した」ということです。「不満を持つ人々」に対して「攻撃しやすいターゲット」を与えてやると、「一斉に叩き始める」現象が起きることがあります。根本にあるのは「不満」の存在それ自体であり、

    ブルジョワジー(資本家)は我々の敵だ!
    万国の労働者よ、団結せよ! 粉砕せよ!


 といったアジテーションはその不満に火を付けるだけです。ただ、大勢が共通の不満を持っているところにいったん火が付けられると、「ターゲット」を攻撃する行動は「鬱憤晴らし」としての意味を持ち、「俺のいうことを聞け!」と自己主張する機会になるため、エスカレートしやすく、収拾の難しいやっかいな政治課題になります。



 そういうやっかいな政治課題を突きつけられた象徴的な事件が60年安保闘争であり、十万単位のデモ隊が国会を取り囲んで乱入するという騒動を起こしました。

 が、基本的には昭和30~40年代のそうした「日米政府・自衛隊・米軍・大企業」を攻撃のターゲットとする反政府運動はほとんど失敗してきました。日米安保条約の成立・改訂は阻止できず、自衛隊は強化され、米軍基地が返還されることもなく、ただし給料は上がりました。そして、学生運動、労働運動にシンパシーを感じていた多くの都市住民は、社会人になり、給料が上がり、豊かになるにしたがって「不満」そのものをなくして「運動」から離れていきました

 しかし、単にシンパシーを感じていた程度の一般市民であれば「運動のことは忘れて生活を楽しむ」ことができましたが、学生運動の中枢を担っていた活動家の場合はそうもいきません。
 「運動」から離れたとはいえ、都合良く忘れてネクタイを締めて官庁や優良企業に就職する、というわけにもいかない彼らが向かった先は、「労働組合」「教育界」「出版・報道」の3つの世界です。

 「労働組合」はもともと、反政府系運動の母体になったようなものですから当然ですが、「教育界」というのはたとえば大学、塾や予備校の先生です。もともと、大学というのは「学問の独立」を旗印に「政府権力の介入を拒否する」といった空気があり、反政府運動の闘士でも生きていくことが出来る場所でした。60年安保運動を指揮した西部邁は後に東大の教授になり、全学連委員長だった香山健一は学習院大学法学部教授になっています。塾や予備校は完全に民間であり、個人で開業することもできたため、学生運動崩れの人間が生計を立てる重要なルートでした。もちろん、高校以下で正規に教員採用されて日教組に入って活動を継続した者もいます。
 また、「出版・報道」の世界もそうで、学生運動から離れて出版社に入り、週刊誌や新聞の編集をする仕事についた者は数多くいます。

 こうした経緯があるため、日本の教育・出版・報道機関はもともと左翼・反政府傾向があり、なにかにつけて「攻撃しやすいターゲット」を探すのが習い性になってる者が少なからずいます。安保闘争ではそれで大人数を動員できてしまった、という成功体験(目標は達成できなかったが、闘争を指揮する者としての快感は得られた)を捨てられないわけです。

 そんな人々が「攻撃しやすいターゲット」としてよく選ぶのが「政府・軍・大企業に近い者」であり、攻撃するための口実としてよく使われるのが「軍事・金・環境・差別」のどれかにかかわるスキャンダルです。



 実際、福島原発事故がらみでこれがどういう形で出ているかを挙げてみましょう。

【「反原発」を進めるべき理由としてよく主張されるポイント】
  1. 原発の真の目的は核開発である (軍事)
  2. 原発は安くない(金)
  3. 電力会社が利益を上げるために強硬に再稼働を目論んでいる(金)
  4. 放射能は微量でも健康を害する(環境)
  5. 環境放射能汚染は取り返しが付かない(環境)
  6. 原発の周囲では白血病が多い(環境)
  7. 温排水が生態系を変える(環境)
  8. 原発立地自治体出身者が差別されてしまう(差別)

 などなど、こういうパターンですね。見覚えがありませんか? 軍事・金・環境・差別の4点セットは、日本において「不満を持つ人々」を動員して、その攻撃を特定のターゲットに向けさせるための定番の材料なんです。

 しかも、学生運動の成功体験を捨てられない残党組がその母体を作った出版・報道界には、同じ手法で「大衆扇動」をすることに長けた人間がいます。

 したがって、日本のマスコミが「軍事・金・環境・差別」の4点に絡んで、特定の対象を攻撃するような論調を語る場合は警戒しなければなりません。それは単なる大衆扇動の口実なだけで、真実ではない可能性が高いのです。

 (続く)


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