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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

原子力論考(31)セントラル・ドグマがもたらした不幸な行き違い

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 さて、今回はセントラル・ドグマの話です。念のため書いておきますがエヴァではありません(^^ゞ[注1]。 もうひとつ念のため書いておきますが、私は物理学者でも生物学者でもないのでアカデミックな議論はできません。以下の話はあくまでも社会現象を見る上での1つの視点を提供するだけです。

 まずはある年表を見ていただきましょう。[注2,3]

 年表その1 1930 まで
 (1) 1812 「ラプラスの悪魔」(決定論的世界観の登場)
 (2) 1895 X線の発見
 (3) 1896-1926 X線による皮膚炎、火傷、白血病等の障害事例の報告多数
 (4) 1915 一般相対性理論(決定論的世界観の完成形)
 (5) 1926ごろ 量子力学の基礎、完成(決定論的世界観の終焉)
 (6) 1927 X線照射によるショウジョウバエの遺伝的影響の発見(マラー)

 物理学の話とX線の話が混じってますが、まず注目して欲しいのは(1),(4),(5)の物理学の話題の項に出ている「決定論的世界観」という言葉です。
 「決定論的世界観」というのは、短く言うと

もし、宇宙のすべての物質の状態を知ることができて、その動きを計算することができれば、この世に不確実なことは何もなくなり、未来もすべて予測できるだろう

 という考え方のことを言います。つまり神のような知性であれば未来はすべて予測可能であり、それができないのは単に人間に能力が足りないためだ、という発想なんですね。
 このような世界観は16世紀ごろ始まった「近代科学」が発展するにしたがって強まっていき、20世紀初頭に頂点を迎えました。その頂点であり集大成になったのが1915年の一般相対性理論です。

 ところが、その後まもなくそうした決定論的世界観では理解しがたい物理現象が発見され、量子論が登場して決定論的世界観は少なくとも物理学の世界では終わりました。

 が、しかし、この決定論的世界観は単に物理学の中にとどまらず、社会的にある大きな影響をもたらしました。それが「計画経済」という考え方です。簡単に言うとこういうものです。



 「明るい未来」を描いた「美しい計画」を、一糸乱れず整然と遂行すれば、求めた「明るい未来」が得られる、というそういう考え方です。
 これを国家レベルで大規模にやろうとしたのが社会主義・共産主義国家であり、ある種壮大な社会実験ではありました。ご存じの通りこの社会実験が始まったのが1917年のロシア革命です。
 しかし、物理学の世界では1920年代でとっくに終わっていたこの世界観ですが、それをモデルにして展開された社会運動の世界では少なくとも1960年代ぐらいまではまだ大まじめにこの考え方が残っていました。結局、最終的にこの失敗が明らかになったのは90年代初頭のソビエト連邦崩壊という結果によってです。

 さて、ここまでのところを押さえておいて、年表その2です。

 年表その2 1942 以後
 (7) 1942 世界初の原子炉が稼働 (→放射線防護の管理基準の必要性が高まる)
 (8) 1944 DNAが遺伝子本体であると考えられる証拠が見つかる
 (9) 1953 ワトソンとクリックがDNAの二重螺旋構造を発見
 (10) 1954 ICRP 一般公衆の被曝線量に関する勧告を発表
 (11) 1958 DNAの半保存的複製の実証
 (12) 1958 クリックがセントラル・ドグマを提唱
 (13) 1965 ICRP 勧告 Pub.9 「どんな被曝でもある程度の危険を伴う」という考え方を導入
 (14) 1970 逆転写酵素の発見
 (15) 1977 ICRP 勧告 Pub.26 LNTモデルを導入して一般公衆への規制強化
 (16) 1977 イントロンの発見

 今度は放射線防護基準の話とDNAの話が混じっていますが、(12)の「セントラル・ドグマの提唱」(1958年)に注目してください。
 セントラル・ドグマというのは、短く言うとこういう考え方です。



 DNAは生物の身体を作る遺伝情報を保持していますが、その遺伝情報は「DNA」から「タンパク質」へ向かって一方的に伝達される、という説です。左端の大元の「DNA」は不動の原典のようなもので、ただコピーすることだけが許される。改変するなどもってのほか!! というのがセントラル・ドグマです。

 と、ここでさっき出た「計画経済ドグマ」の図と見比べてください。
 なにか似ていませんか?
 明るい未来に向けて美しい計画を一糸乱れず遂行しよう、というのが計画経済ドグマ。
 DNAに書かれた遺伝情報を誤りなく伝達することでタンパク質が合成される、というのがセントラル・ドグマ。

 全然違う分野の話なので多少似てるからといってそこに意味づけをするのは乱暴な話ですが、私にはこれがとてもよく似て見えます。

 どちらの発想も、左端の「計画」「設計図」が正しいことが大前提であり、計画の間違い、狂いを極端に嫌います。大元が間違ったらそこから先は全部狂うので、「計画」「設計図」が壊れる事態はあってはならないというわけですね。今でもこういう素朴な見方で「DNA」というものを認知している人は多いのではないでしょうか。

 さて、ICRP、国際放射線防護委員会は1950年代から70年代にかけて段階的に一般公衆に対する放射線防護基準の強化をしてきました。
 その中の「(15)1977 ICRP 勧告 Pub.26 LNTモデルを導入」が問題です。LNTモデルというのは以前にも書きましたが「放射線障害はどんな低線量でも確率的に発生する」というモデルのことで、現実には合っていない可能性がきわめて高いもの。

 ところがこのLNTモデル、導入されたのには理由がないわけではありません。
 「(6) 1927 X線照射によるショウジョウバエの遺伝的影響の発見(マラー)」←この実験では実際にLNTモデルを指示するような結果が出ていたわけです。

 さらに、もし「セントラル・ドグマが正しい」のであれば、LNTモデルのような結果が本当に出てもおかしくありませんでした。
 クリックがセントラル・ドグマを提唱したのが1958年。ICRPがPub.9で「どんな低線量被爆でもリスクがある」という考え方を導入したのが1965年です。

 ところが、そうしてICRPが放射線防護規制を強化しつつあるちょうどその頃、分子生物学では新発見が相次ぎ、1970年には「逆転写酵素」が発見されました。これはRNA→DNAへ逆行するルートでの遺伝子の伝達があることを示すもので、セントラル・ドグマはこの時点で否定されています
 実際には遺伝子情報は不動の原典を慎重に慎重にありがたくコピーしていくようなものではなく、しょっちゅう複製ミスが起こっているし、それをひっきりなしに修復する働きがあって維持されています。多少複製ミスが増えたところで、修復能力には十分余裕があり、よっぽどの高線量の放射線を短時間に被曝しない限り、健康影響は起きない、ということも分かってきました。ショウジョウバエはその遺伝子修復機能を持たない、非常に珍しい生物であったこと、広島・長崎の被爆者の間でも予想に反して遺伝的障害は増えていないこと、DNAに障害を受けた細胞のほとんどは単に死ぬだけで悪影響は残さないこと、などもわかってきました。

 と、科学の世界ではそういうことがわかってきましたが、社会と政治の世界はそうすぐには変わりません。セントラル・ドグマがまだ正しいと思われていた時代の発想で決められたLNTモデルは未だに大手をふるってまかり通っています。

 といっても、「LNTモデルはセントラル・ドグマを念頭において設定されたのではないか」というこの話はあくまで私が感じた仮説に過ぎません。年代を突き合わせてみるとそう感じられる、というだけの話で、当事者に取材したり詳しい史料を当たったわけではないので、間違っている可能性はあります。ですから、あくまでもひとつの参考意見として読んでおいてください。

 なんにしても、「政治と社会の動きは科学の動きよりも何十年も遅れることがある」ということ、これは科学的社会主義というソビエトの壮大な実験の顛末を見ても明らかです。これをなんとか教訓にしていきたいものですね。


[注1]エヴァではありません
アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の中に登場する舞台装置の1つに「セントラル・ドグマ」というものがあります。

[注2]放射線障害に関する歴史上の出来事
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/09/09040101/01.gif

[注3]平常時の管理基準
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=10-07-02-03


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