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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

原子力論考(22)「電力会社の電気に頼らない生活」は経済的でもなければエコでもない!

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 原子力論考(18)から続けてきている「電力会社に依存しない生活は可能か」のシリーズの第5回、完結編です。
 そもそも・・・と振り返りますと、この話を始めたきっかけは、あるTV番組が「電力会社から電力を購入しないで生活する実験」を紹介していたことでした。世の中に「そりゃ無謀だろ・・・」と言われるようなチャレンジをする人や会社(会社も結局は人ですが)が必要なことは確かです。しかしその番組を見たとき私は、「それにしてもいくら何でもこれは無茶だろう、無理がありすぎる」と思ったわけです。

 いくらチャレンジ精神は大事だとは言っても、ある程度事情を知っている人間に聞けば「電力会社の電気に頼らない生活」というのは経済的でもなければエコでもないことはすぐわかります。こういう目標はそれこそ個人が採算度外視の趣味でやるような話であって、それをTV局が社会的に価値あるチャレンジであるかのように紹介する形で放送するのはいかがなものでしょうか。問題のTV番組は、普段ほとんどTVを見ない私でも見ている、比較的良質な番組ではありますが、それでも玉石混淆で、「石」にあたるケースも多々あります。今回は電力問題でしたので、現在の社会情勢下では無視しておけない、と考えてここまで書いてきた次第です。

■「電力会社の電気に頼らない生活」は経済的でもなければエコでもない


 さてそれでは、

「電力会社の電気に頼らない生活」は
経済的でもなければエコでもない

 という理由をお話しましょう。

 現在、太陽光発電を家庭に導入する場合、基本的には電力会社からの給電があることを前提にしています。太陽光発電で足りない場合はその給電に頼り、余剰になった場合は余剰分を売電する、というしくみです。蓄電池の有無で多少の差はありますが、電力会社からの給電という「外部電力必須」であることには変わりません。

 なぜ外部電力が必須なのかというと、太陽光にせよ風力にせよ、自然エネルギーというのは不安定なので「必要な時に発電できない」という限界があるからです。これを蓄電池でカバーするのは前回も検討したように非現実的で、「必要な時に発電できる」安定的な電力源がないと現実には使い物になりません。



 したがって、「電力会社からの電気に頼らない」ためには、「必要な時に発電できる」安定的な電力源を自前で確保する必要があります。



 これは太陽光が風力になっても同じことで、自然エネルギーは「必要な時に発電できないことがある」という性格は変わりません。そのため、「必要な時に必ず電力を供給してくれる」安定的な電源をバックアップに持っていない限り実用にはならないわけです。

 さて、こうしてみると、結局問題は

    自前の安定電源を使うのと、電力会社からの電力と、
    どちらが経済的か? また、環境負荷が低いか?


 ということになります。もし、「自前の安定電源」(要は化石燃料を使う発電機のことですが)のほうが電力会社よりも安く、あるいは環境負荷が低い形で発電できるのであれば外部電源不要型を導入する大義名分が立ちます。しかし、それができないのなら「個人の道楽」以上の意味はありません。

 そして、それは根本的に、原理的に不可能なんです。これにはハッキリした理由があります。まずは、両者の特性がどれぐらい違うかを見てみましょう。



 熱効率から騒音対策まで6項目について比較していますが、すべての項目について、電力会社を使うほうが有利です。
 まず、「熱効率」ですが、これは燃料を燃やして得られるエネルギーのうち、どれだけを電気として取り出せるかという数字で、これが高ければ高いほど、エネルギーを無駄にしていないわけで、環境負荷の面で優れています。
 この熱効率ですが、火力発電所の場合は発電と送電ロスを合わせて40%を少し切る程度。ただし最新鋭のLNG発電所では熱効率が60%近くになるものもあり、送電ロスを含めても50%を超えるメドが立っています。
 それに対して家庭用の発電機では高くても35%程度で、ここで既に負けています。つまり「家庭で発電すると燃料を無駄にする」ということです。
 これは「家庭用の発電機は小型である」というサイズの制約から来る本質的な限界のため、技術開発をいくらやってもこの差を逆転するのは根本的に不可能です。

 問題はそればかりでなく、排気中の汚染物質も、小型発電機のほうが多くなります。厳しい環境規制の対象になる火力発電所と違って、小型発電機には大した規制がないうえに、小さいこともあって対策をしにくいためです。

 また、安全性についても、各家庭でそれぞれ燃料を貯蔵してエンジンを動かすのでは、その分危険を拡散させるようなものです。火力発電所に集中させたほうが安全対策を取りやすいのは当然ですね。

 また、発電機は機械ですから当然点検が必要ですしいつかは壊れます。点検中や壊れたときのバックアップを各家庭で自前で持つのは非現実的な話で、安定性の面でも電力会社に負けます。

 さらに、あまり知られていませんが、現在は国際条約により「石油を燃料とする火力発電所」は新設できません。そのため火力発電所の主な燃料は石炭とLNGです。しかしどちらも家庭で使うのは非現実的ですので、家庭では軽油やガソリンを使うことになるでしょう。もしこれが大規模に行われるようになると、「石油火力発電所の新設禁止」という条約の精神には違反することになりますし、現在ただでさえ高騰している石油の需給を逼迫させる要因にもなります。

 さらに騒音対策ですが、発電所は住宅の近くには建てませんから騒音対策がしやすいのに対して、隣の部屋で発電機を動かしていたらそれが難しいのは言うまでもありません。

 というわけで、「自前の安定電源」として発電機を各家庭に導入するのは、あらゆる面で電力会社の電気に負けています。これは、「家庭用発電機は小型にせざるを得ない」というサイズの制約から来る根本的な問題なので、製品を改良すればどうにかなるような話ではなく、どうあがいても逆転不可能な差なんですね。

 そんなわけで、「電力会社の電気に頼らない生活」なんてものは根本的に不可能です。「発電できないときはあきらめる。エアコンも冷蔵庫もストーブも照明も電話も動かなくてもしかたがない」ぐらいに生活を変えない限り不可能なんです。

 だから、「個人の道楽以上の意味はない」というわけです。これを分かった上で個人の道楽でやるなら止めはしません。ですが、これが社会的に大きな動きになることはありえないし、してはいけないのです。かえって環境負荷を増やします。

 にも関わらず、例のTV番組はそれが「勇気ある挑戦」であるかのような構成で放送していました。比較的良質な番組といえども時にはこういう「石」も混じっています。こういう番組を見てうかつに信じたり期待したりして貴重なお金を使うのだけはやめましょう。所詮TV局は私たちの投資を保証してくれるわけではありません。いついかなるときも「自分で根拠を確認して」考えるようにしたいものです

電力会社に依存しない生活は可能か? シリーズ(完)

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