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高校卒業直後にアメリカの全寮制高校に飛びこみ、文化、言語、価値観、人間関係、そして勉強で七転八倒しつつ適応していった、5年間の留学生活から学んだレッスンを、具体的エピソードを交えて紹介。

崖っぷちで挑んだ三度目のTOEFLでサクラサク

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楽しかったクリスマスも過ぎ、年を越して1990年になり、新学期がはじまりました。これといったTOEFL対策をおこなわないまま時がたち、3月となり、三回目の試験日になりました。


TOEFLは合格や不合格のあるテストではなく、あくまで受験者各自の進学する大学等が設定する点数をクリアすればよいものです。よって、何回でも挑戦できます。


とはいえ、高校の卒業を2ヶ月先(5月)に控えていました。卒業後に自分の居場所はありません。ちょうど留学から1年がたっていた時期でもあります。節目となるこのタイミングで目標の500点をなんとしてもクリアしないとまずいわけです。とまあ、当時を振り返ると「けっこう背水の陣だったんだな」という気がします。




試験日当日のことはまったく記憶になく、会場がどこだったか、一人で行ったのか他にも一緒の留学生がいたのか、どんな内容だったか、受けた感触もなにも覚えていません。(失敗した初回と、泣かず飛ばずだった二回目は鮮明に覚えているのに)


かすかに覚えているは、「いまさらジタバタしてもしょうがない」と無心だったことと、気負わずに淡々とやったことだけ。ふつうに受けて、ふつうに帰ってきました。とにかく記憶がすっぽりとない。



で1ヶ月後の結果発表。


結果はいつもレターサイズの白い封筒で送られてきます。郵便物は1カ所の集中ポストで仕訳され、生徒が放課後に自分宛のものがないか尋ねにいき、届いていればハイヨと渡されます。


私は受け取った結果を人前で開けるのが怖かったので、トイレに入りました。初回が438点、次が468点だったので、前回と同じ30点の伸びでは498点で基準の500点に2点届きません。


「頼む!前回よりも進歩していてくれ・・・もう後がないんだっ」


誰も入ってこないのを確認しつつ、祈るようなキモチでゆっくりと封筒を開けると・・・




そこには537点の文字が。



トイレの中で1人、歓喜のジャンプと雄叫びをあげました。外に飛び出して、結果票をそこらじゅうの人に見せて祝福してもらったのを覚えています。



一番喜んでくれたのは、エチオピア人留学生の面々でした。(このへんの語学の苦労は、現地アメリカ人はあまり共感してくれないw)


前の年の秋に、「勉強はほどほどにして、もっとおしゃべりをしなさい」と助言してくれたエチオピアの女子らの予言(?)通りの結果となりました。



長いトンネルのような勉強漬けの日々が終わった解放感、夏から晴れて希望する大学に入学できる喜び、励ましてくれた他国の留学生や先生らへの感謝、我ながらよく頑張ったという慰労の気持ち、の色々な感情が入り交じった忘れられない1日になりました。


つづく



代表 中山順司
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