オルタナティブ・ブログ > 20年前の留学を、淡々と振り返る記録 >

高校卒業直後にアメリカの全寮制高校に飛びこみ、文化、言語、価値観、人間関係、そして勉強で七転八倒しつつ適応していった、5年間の留学生活から学んだレッスンを、具体的エピソードを交えて紹介。

国籍、文化、言語、皮膚の色、常識、全て異なる人とうまく暮らすコツ

»
大学では、1年生から3年生までは校内の寮に住んでいたのですが、そのときのことを書こうと思います。

ちなみに、中央の建物が寮で、矢印の位置(2F)に住んでいました。↓
無題.JPG


新入生がどのように部屋が割り当てられ、ルームメイトが組まれるのか、そのメカニズムは分かりませんでしたが、少なくとも「99%学校側にお任せ」になります。私の場合も、希望確認はなく、「キミと同じ留学生にしておいてあげたから」と事後で説明があっただけでした。


100名ほどの新入生がいれば、いちいち希望など聞いていられないのが現実でしょう。ということで、入寮直前になってようやく

「二人のウガンダ人がキミのルームメイトだ。一人は四年生、もう一人は二年生ね」

と告げられました。


このように、学年も国籍もごっちゃで組まれました。べつに驚くことではないので、「はい、そうですか」と了解しました。それに、このほうが、先人からのアドバイスが聞けたりするので、スムースに学業に慣れることができるメリットがあります。

アイオワ州での高校時代の経験で、エチオピア人はそこそこ国民性を理解していましたが、ウガンダについてはまったく予備知識もありません。が、まあなんとでもなるだろうとあまり心配はしていませんでした。で、実際に暮らしてみて、何の違和感もなく溶け込めてしまいました。


アフリカ大陸でひとくくりにしてしまうのは、アフリカ各国の人々からすれば失礼な話ですが、私にとっては「陽気で、気さくで、細かいことを気にせず、しっかりした倹約家」という点で共通していました。


その後はインド人と住んだり、南アフリカ人が転がり込んできたりと、常に国際色豊かな生活環境で暮らしてきました。国も文化も言葉も違う留学生同士がいっしょに住んで、ほぼ何の問題もなく、仲良く生活できたのは、今思うとなぜだろうと不思議です。

いくら留学生という境遇が似ているとはいえ、衣食住を共にするということは、単なる友人の枠を超えた、擬似家族的な要素も入ってきます。いびきも聞こえますし、得体の知れない食べ物の匂いもします。母国の常識も当然通じません。

そんな者同士が共同生活をすれば、現実問題として、ぶつかるのが普通。にも関わらずうまくやってこれた理由は、「オレの国では~~~~」と母国の常識を持ち出さない暗黙のルールが機能していたからのような気がします。



「お前の国の常識やルールなんて知らんよ」

「ここはアメリカなんだから、アメリカ式にやるのがスジだろ」



とお互いに認識できていたおかげで、なにかで衝突しそうなときは、「アメリカの常識で判断しようぜ」という方法で問題解決を図ることができたわけです・・・と、思います。たぶん。


そういう意味では、母国の常識や文化やしきたりや阿吽の呼吸といったものを全部捨てて、オールリセットできるかどうか。加えて、新しい自分たちの共同ルールを作りあげていけるかどうか。ルームメイトとうまくやっていけるかどうかは、その辺りにかかっているのかもしれません。



つづく

Comment(0)