人[材|財|罪]というマネジメントの隠れ蓑
こんにちは。お盆休みが明けてすっかり仕事モードに入って体調不良の松井です。右肩があがらないんですが。。。
そんな四十肩の話はおいといて、今回はタイトルの通り、人ザイについて話していきましょう。
このエントリーの構想をぼんやりと思い浮かべていたら、とってもどんぴしゃなエントリーをオルタナティブ ブロガー 大木さんがアップされていました。大木さんのエントリーでは僕の言いたかったことの9割くらいは説明してしまっています。ですからこのエントリーは残りの1割、重箱で言うところの隅っこにあるアレをつついていきたいと思います。
大木さんのエントリーではHR、いわゆるヒューマン リソースについて言及されています。HRに違和感を感じ、本来であればHRMつまりマネジメントまで含めてはじめて管理職としての役割を全うしているといえるよねというお話です。
そして、そもそも人材ってどういうことなのよ、ということについてここでは考えていきます。Googleで「人財」や「人罪」を検索するといろいろとビジネス関連の情報が羅列されます。すでにかなり浸透している言葉なのでしょう。しかし、この言葉にはマネジメント側に経つ人間の責任放棄を感じてしまいます。
例えば人罪という言葉。会社にとって利益をもたらすどころかいるだけで損失をもたらす人を指すのですが、いったい何の権利があってそんなレッテルを貼ることができるのでしょう。もし、仕事をうまくできないのであれば手ほどきをし、今の仕事に適性が無いのであれば配置換えなどで資質を生かすよう管理するのがマネジメントです。しかし、人罪ということばで人を表現した瞬間、マネジメントを放棄し、利益が出ないことを一個人の責任に転嫁してしまうのです。
極端な例えですが、プログラミングのエキスパートに荷物運びをやらせても能力を発揮できないのは火を見るよりも明かです。
そんなこともお構いなしに、「人財がなかなか育たない」などと言って嘆くのは無能の極みでしょう。自分には見る目も無いし人を管理する能力もないと自ら公言するようなものです。
ビジネスにおいては日々新しい用語が生まれていきますが、気をつけないと怠惰な人間を肯定する言葉であふれかえる危険性があります。人々にとって都合のいい言葉の方が、本質を突いた言葉よりも伝播力が強いものです。今一度、普段使っている言葉を見直してみるとよいのではないでしょうか。