言葉がもたらす情報格差 ー映画:バベルからの考察ー
2007年に上映された「バベル」は色々な物議を醸したことで話題になった映画作品ですが、観た人も結構いるのではないかと思います。今回は、この映画作品を通して、言葉がもたらす情報格差について考えてみます。
この映画作品は、聖書の創世記11章に出てくる話をモチーフにしていると言われています。この話は以下のとおり、言葉の混乱がもたらした影響は大きかったと言われています。
バベルの町では、文明や技術が発達した結果、人々が高慢になり、神にも近づこうとした結果、天まで届くバベルの塔を建てようとした。しかし、神はそれを快く思わず、人々に別々の言葉を話させるようにされた。その結果、人々は統制がとれずばらばらになり、全世界に散っていった。
この映画作品では、バベルの塔の話をベースに「言葉が通じない」「心が通じない」世界における人間を描いています。このように、普段何気なく使っている言葉がいきなり通じなくなってしまったら、大変困ることでしょう。普段何気なく使っている言語は、生活に色々な影響を及ぼしています。人々とコミュニケーションし、社会の一員として機能する事で、生活に必要なもの(物質・精神)を満たしたりしています。
このように言葉は、情報のやりとりをするのに不可欠な要素です。「言葉が通じない」状況にいることは、かなり不利な状況にあるということは、想像に難くないと思います。そこには、【情報格差】が生じています。
特に、耳の不自由な人の多くは、恒常的に「言葉が通じない」状況にいるので、常に不利な立場に置かされています。また、耳の不自由な人が使用している言語=手話は、言語の一つです。
しかし、残念なことに、公的機関などで、手話が出来る人が少ないため、耳が不自由な人は、さまざまな場面で不利になることが多くあります。例えば、窓口で筆談対応すると、通常の倍以上の時間がかかってしまったり、意思疎通が十分に出来なくなる恐れがあります。
このようなバリアを解消するために、【手話言語法/条例】の制定の動きが最近活発になって来ています。
【手話言語法/条例】は、手話はろう者にとって母語であることを示し、ろう者が日常生活や職場などで自由に手話を使ったコミュニケーションがとれることや、ろう教育に手話を導入し、ろう児や保護者が手話に関する正しい情報を得ることなどを保障し、ろう者が社会的に自由に、生きられることをめざす法律です。
最近の有名な話として、鳥取県で2013年10月に手話言語条例が施行されました。YouTubeにはCM動画がアップされています。
政府や多くの地方自治体で、【手話言語法/条例】の制定が進むと良いですね。