アップルのように搾取する気概はあるか?★書評『企業が「帝国化」する』
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良書である。
なんて、小学生のとき夏休みの宿題で、読書感想文を本の「あとがき」を丸写しして怒られた僕が言うのもおこがましいけれど・・・
アップル出身の筆者は、その例を若干冗長ながらアップル、マクドナルド、エクソン、といくつか挙げている。
例えばアップルの場合、アップル内部では製品、サービスをクリエイトする頭脳たる本社機能と、アップルストアの販売員など同じ企業にいながらにして生じる賃金格差をはじめとするヒエラルキーが構築されていること。また、製品やサービスの多くが外部委託されていて、もはや「アップルへの依存」なくして事業がなりたたなくなる委託先企業の存在のことを。
そして、消費者もアップル製品間の親和性の高さから、一度製品購入してしまうと、周辺の機器購入はアップル製品を選ばざるを得なくなり、サポートも含めアップルが提供するサービスに依存し、そのフレームの中で生活スタイルすら変えてしまう。
これら構築された「新しい秩序」は国という概念を超えて、或いは国という権力すらもコントロールする存在として君臨するというのだ。
本書はそれらを比較的批判的に著述しているけれど、僕はある種ビジネスモデルとしての模範的な例でもあると感じている。
ユーザーが望むサービスをクリエイトして、それに更なる充足感ある製品やサービスを提供していくビジネスモデル。
国家、人種、宗教を超えてビジネスを推進する高度に進んだダイバーシティ化。
けれどこれらは、日本というローカルなビジネスにどっぷりと浸かった日本企業に耳の痛いことばかりであると思うのだ。
理念・戦略なき多事業化。
曖昧なコミュニケーションで合意される管理職層の存在。
僕らの周辺に、それまでのビジネスの慣習を破壊し、新しい枠組みを構築するだけの気概ある企業やビジネスマンがどれだけいるというのだろう。筆者は批判的に「帝国化」と呼んでいるけれど、これは新しい枠組みを創り出したものの必然の行動原理だと思うのだ。
「帝国化」を促したのは何よりも消費者であるユーザーだ。それをソフィスケイトしていく過程が「帝国化」を促進させたともいえるだろう。
これら「帝国」は快適なサービスを僕らに提供してくれる。
けれどそれが搾取に変わったとき、または、利便性の比重に比して提供する様々な個人情報などの対価が見合わないときに、それらに対応するスキルを磨いておかなければならない。
帝国に抗うのは難しい。けれど、それら製品やサービスは所詮ツールに過ぎないのだ。僕らはそれらに埋没せずに、最適とは何か?常に自分の感覚を研ぎ澄ましていよう。何故なら、きっとそれは自らの最適のみならず、ビジネスの成功を勝ち取るスキルに通じていると思うからだ。
>>アスキー新書 『企業が「帝国化」する』松井博著
<了>
正林俊介
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