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【もしあなたが死んだとき:Facebookは処分できない遺品なのか?それとも故人を偲ぶ現代の墓標なのか?】

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-とても人望ある、とある方が若くして亡くなった。Facebook上のページは消されること無く、亡くなったことを知らない方が、今も未だウォールへ投稿していたりするという-


特に結論の無い話ですが、先日、四方山話をしている際に、こんなことがあったという話を伺いました。


そのとき、その場では上記の事実を概ね2つの意に捉える方に分かれたのでした。

ひとつは、

『インターネットという海にいつまでも浮遊する、見送ることも出来ない「コミュニティの中の個人」として悲しむべき遺品である』

という主旨のもの。そして、もうひとつは

『故人との擬似的なコミュニケーションを継続することが出来る、現代の墓標ではないか』

というもの。


僕自身は、この逸話を聞いた瞬間に直感的に感じたのは、後者の感覚で、話をしている中で前者のような捉え方も出来るのだなあと、思ったわけです。

自分自身の体験に置き換えてみると、亡くなった身内に宛てて「成人式」のダイレクトメールが何通も送られてきてました。最初はとまどいもあったものの、そのうちに「存在を忘れられていない」ような気がして気にならなくなりました。


Facebookに限らないのですが、こういったツールを利用していれば誰にでも有りうる話な訳です。

個人にフォーカスすれば、どのように故人を偲ぶものか?といったナイーブな話で、どっちの捉え方が正解なんて誰にも言えないものです。


ただ、これが集積された情報としてみたらどうだろう?どこかの遺跡に「最近の若い者は・・・」と書かれていた、なんて話のように何百年も未来の人たちにとって、興味深い情報になるんだろうなと夢想するのです。

うげげっ、自分のぶつぶつと書いているものがそんな風に見られたりすると思うと、何だかむず痒くもあり、そんなのも悪くないと思ったりしたのです。


<了>

-正林 俊介-


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