【忘れないことを忘れない】-3・11について思うこと-
皆様こんにちわ。鈴与シンワート株式会社の正林です。
すでに1年を迎えた「3月11日」。これを語るのは難しい。繊細であらねばならない。軽々しい言葉はまるで他人事のように聞こえるし、そして無神経だからだ。
けれど、何かを発信しなければならないと思う。このように何かを伝える場を有しているのだから。だから私は着稿している。そして、自分感じたことを率直に書こうと思う。なぜならこの「3・11」は、ひとりひとりが感じたものだから。誰かの想いをわかった風に書くのは、私にとってあまりにも重いから。
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その日、そのとき、私は東京の本社にいて、いつもどおりの日常、普段どおりの仕事。
そして突然にやってきたのでした。経験したことの無い異様な揺れ。東京の交通機関はすぐに麻痺した。電話もつながらない。
私は忘れない。
1歳になったばかりの息子を抱えてマンションの12階にいる家族を想ったあの時を。
連絡がついたのは夕方も遅くで、近くの実家にいて無事で心から安堵したことを。
私は忘れない。
その日夜になって地下鉄が一部復旧し、中途まで移動が出来て近所に住む女性社員を送り届けながら自宅まで40分ほど歩いて帰った夜道を。
東北にいる、親しくさせていただいている方へ電話をかける。メールをする。
電話で連絡がついたのは2,3日経過してからだったと記憶している。
私は忘れない。
「連絡がついてよかった」そう言ったあとに続く言葉が思いつかなかった。
-無事ですか-
-大丈夫ですか-
そんな言葉を軽々しく云うことも出来ず、無言になったことを。
そしてしばらくして、都内から物が無くなった。
私は忘れない。
友人知人から水やオムツといったものを地方から送っていただいた優しさを。
近所のコンビニエンスストアでは子供と共に来店していることを覚えてくれた店員の方が、「小さいお子様お連れの方だけに」といってミネラルウォーターを持ってきてくれた思いやりを。
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3・11が起こって以降、様々な悲しみと希望。が皆さまのそれぞれにあったに違いない。
政治家や電力会社の当時のオペレーションの一つ一つを批判するつもりは無い。全体を知らずして語るのはあまりに無責任だから。そして現場で危険を顧みずに努力を惜しまなかった方がいるはずだから。
ただ、昨日テレビを見ていた私が寒々しく思ったことを私は忘れない。各局が「正しい情報伝達がされていなかったことが問題である」という一様な論調、見解。評価を下していたことを。
私は忘れない。
3・11を引き金に起こった原発事故発生直後、テレビ局各局が有識者と言われる人達の言葉を借りて「メルトダウンは起こりえない」と伝え続けてきたことを。私は言葉の定義を知りたいわけでは無い。何が起こっていてそれがどのような危険、リスクを伴っているのかを正しく知りたいだけ。
そして今「正しい情報伝達」に関して批判的な論調を展開していることを忘れない。
悲しみの程度は違っても、多くの方の心に、大切なものに大きな影響をもたらしたこの日を私は決して忘れない。
<了>
-正林 俊介-
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