書籍紹介『ThoughtWorks アンソロジー』
『ThoughtWorksアンソロジー
~ アジャイルとオブジェクト指向によるソフトウェアイノベーション』
この本は、あのマーチンファウラーが「チーフサイエンティスト」という肩書きで在籍するThoughtWorks社の社員が綴ったエッセー集です。この会社は、SIとコンサルティングを生業としていて、そういう意味でぼくが在籍する「永和システムマネジメント」と近いビジネスモデルの会社です。さらにアジャイルとオブジェクト指向に傾倒していて、それでソフトウェア開発ビジネス変えよう、現場のソフトウェア開発を良くしよう、という活動をエンジニア「おのおのが」している、という点でも、永和システムマネジメントと非常に近い感覚を持っています。さらに言うと、Ruby好きが多い、と言う点でも・・・。(ただ、ワールドワイドに展開している、という点で負けています。)
さて、この本は内容が技術からマネジメントまで多岐にわたるため、好きなものだけつまみ食いするのが正しい読み方ではないか、と思います。ぼくは、冒頭の「ラストマイル」、ファウラーのRubyを使った内部DSLの話、そして、ドメインモデルのモデリングにアノテーションを積極的に使う話、プロジェクトバイタルサインの話、などを面白く感じました。ここでは、ひとつだけ「ラストマイル」というエッセーを取り上げます。
アジャイルは動くソフトウェアを常に統合し続けるのですが、それでも、そのソフトウェアが実際のユーザ環境に配備されてビジネス価値を出す、というその価値を届けるまでの最後の1マイルの重要さと難しさを書いたエッセーです。ちなみに、「ラストマイル」とは通信業界で用いられる用語で、通信の最後の1マイルは家庭用の通信線であり、ここが最後の通信ボトルネックとなること、ここの大域幅が上がらないとエンドツーエンドで速度がでないこと、さらに、この線をメタル以外に変えることが圧倒的高コストになることのチャレンジからきています。このエッセーでは、ソフトウェアのデリバリにおける「ラストマイル」を指していて、ここにかかる大きなコスト(ユーザの機会損失と煩雑な手作業のムダ)をなんとかしよう、その前に、この「ラストマイル」をみんなで認識しよう、という優れたエッセーになっています。よい主張には、よい名前があり、このエッセーのもっともすばらしいのは、この「ラストマイル」という名前でしょう。(このエッセーの後にマーティンファウラーのDSLの話が続きます・・・)
さて、本書のもう1つの「私的な愉しみ」は、訳者の方々、そして、序文を書いておられる羽生田栄一さんに思いをはせながら、日本のオブジェクト指向界を振り返ることです。羽生田さんは元オージス総研に在籍され(その前は富士ゼロックス)、そこで、「ObjectDay」というイベントを毎年開催されていました。ちなみに、私が初めソフトウェアに関することを人前で発表するという機会を与えられたのは、このObjectDay2000でした。また、私が「オブジェクト倶楽部」を作ったのは、このObjectDayが終了し、オブジェクト指向を実践している人が集まる機会が日本に無くなることをさびしく感じたことが動機のひとつになっています。羽生田さんはその後、株式会社豆蔵の最初の創設者の一人となり、現在も豆蔵で会長、フェローとして活躍されています。その羽生田さんが、古巣の「オブジェクトの広場」の翻訳書に推薦の言葉を書かれている。そして、本書は、「オブジェクトの広場」のみなさんがリレーで訳されており、最後の数ページに渡って訳者のリストと一言が書かれています。そこにも懐かしい名前が並んでいます。
「オブジェクト倶楽部」と「オブジェクトの広場」はさらにソーシャル的なつながりがあります。2007年のオブジェクト倶楽部のクリスマスイベントには、「オブジェクトの広場」から佐藤匡剛さん、菅野洋史さん、大村伸吾さん、をお招きし「OO厨厨トレイン」と題して、オブジェクト指向の現在・過去・未来を語って頂きました。それから、『オブジェクトデザイン』の翻訳もとてもよくて、永和システムマネジメントで読書会が開かれていたりしています。さらに、ぼくもレビューさせてもらった、日本で書かれた初期のアジャイルに関する良書『コードで学ぶアジャイル開発~実践XPエクストリームプログラミング』の著者の岡本和己さん、それに、宇部情報システム時代から含め最も長い付き合いになる山野裕司さん(今はシリコンバレーにいるんですね!?)達の名前が見えます。
ということで、本書が、イギリスに本社を持つThoughtWorksという「アジャイル」と「オブジェクト指向」でソフトウェアを変えられることを信じている会社の社員によって書かれ、それが、日本で「オブジェクトの広場」のみなさんの手で訳され、それに、豆蔵の羽生田さんが推薦の言葉を書かれている。また「訳者あとがき」には、日本のアジャイル界(そして、.NET界)の大御所、小井土亨さん、福井厚さんへの謝辞もあります。
そして、その末席に、この書評をオブジェクト倶楽部のメルマガに書くことによって、このオブジェクト指向のソーシャルリングを形にしたいと思い、筆を執りました。
まだまだ、熱い思いをもったエンジニアが世界にも日本にもいるのです。さあみんな、日本でも、アジャイルとオブジェクト指向でイノベーションを起こそう!(平鍋)
※ この書評は、オブジェクト倶楽部のメルマガにかいた、書籍紹介記事です。
(オリジナルは、こちら: http://www.objectclub.jp/ml-arch/magazine/275.html)