「土屋アンナ問題」と「風たちぬ」は共通の問題を含んでいる。
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土屋アンナ問題と「風たちぬ」は共通の問題を含んでいると思ってます。
実在の人物をベースにした物語はどこまで、演出でいじっていいのかという問題です。
土屋アンナ問題まとめ:
・制作側:土屋アンナが舞台の練習に来ないから講演できない!損害賠償だ!
・原案者:アンナさん悪くない。講演の許可は取ってない。
・アンナ:脚本が不満。原案者も講演の許可は出してないといってる。
・制作側:原案者の代理人から許可を貰ってる。
そんなわけで、代理人から講演の許可を貰ったのですが、脚本家が演出が暴走しすぎて、事実がベースなのに、ショッキングすぎるシナリオになってんですね。
ひどい!って思うかもしれませんが、結構、こういうケースが多いです。
ぼくは、事実を元にした映画が好きなのですが、最近は、演出上の都合で、事実をいじりまくる作品が多いです。ちゃんと調べないとどこまでがフィクションか全くわからないケースが多いのです。
話題の映画の「風立ちぬ」もそうです。実在の航空エンジニア堀越二郎と薄幸の病気の美少女の恋愛の話なのはみなさんご存じのとおりです。しかし、映画で堀越二郎の実名を使ってますが、そんな薄幸の病気の美少女は実在しません。フィクションです。ものすごく重要なポジションなのに彼女は実在しません。そのあたりは、ググればいっぱい書いているのですが、とりあえず、親族の許可を取って、こういう映画になったようです。たしかに、「風立ちぬ」で彼女が出てこないと、「しずかちゃんの出てこないドラえもん」「ユリアのいない北斗の拳」「峰不二子がいないルパン三世」みたいなものです。
ソーシャルネットワークという映画があります。facebookの開発物語で非常に面白い映画です。この中で、facebookはもともと、ザッカーバーグが彼女に振られた怒りで勢いに任せて作ったことになってますが、全部ウソです。業界ではご存じのとおり、彼には長い間付き合っている彼女がいます。ザッカバーグも許可を出してないのですが、原作者はまた別の人なので映画化したみたいです。ザッカバーグも「毎日コード書いていただけなのに、あんなにドラマティックなわけがない。」と評していました。どうも本人の許可を取らずに関係者の取材で映画化したようです。この映画も、土屋アンナ事件と同様の問題を含んでいます。
ブッダという手塚治虫の有名な漫画があります。仏教の開祖であるブッダの物語です。オジサンにはファンが多い漫画で、これも僕が大好きな漫画です。しかし、あとがきを読むと、ほとんどの登場人物はフィクションであることを書いてます。びっくりして、原作である「仏典」を読んでみたのですが、たしかに漫画「ブッダ」に出てくる魅力的な登場人物のほとんどはオリジナルの仏典には出てきません。8割くらい出てこないのでびっくりします。漫画「ブッダ」を読んで、仏教を理解したつもりの人がいますが、あれは完全にエンターテイメントです。これも、土屋アンナ事件と同様の問題を含んでいます。
そんなわけで、事実を元にした映画や漫画やアニメは多いのですが、演出上、ものすごく本質的な部分をいじっている作品が多いですが、事実をベースにしすぎると作品として、つまらないので、こうせざるを得ないのです。
そのあたり、時間をかけて調整することもあるのですが、今回は、制作側が暴走しすぎた上に、あまりにも日程がタイトだったみたいですね。
しかし、代理人経由して、許可を取ったとはいえ、さすがに存命中の方が亡くなる「演出」もどうかと思う。
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