見せる文化と、隠す文化
昨日の監視カメラのコラージュ映像はブラジルで作成されたもののようですが、
昔、イギリス人のお爺さんに言われたことを思いだしています。
イギリス人 - ヨーロッパの人は日本人と比べて、”見せる文化”なんだ
確か若い頃のイギリス旅行の話をしていたときだったと思います。
ダブルデッカー(赤い2階建バス)に乗ることが何度もあったのですが、紳士の国と言いながら、運転手と乗り込む乗客との小さなトラブルを時々見かけたものでした。ただ日本と違ってあまりシリアスにならず、ユーモアが含まれていたり、周囲の笑いを誘ったりと、ちょっとしたドラマやコメディーの1シーンを見てるような .... 。
単に偶然かも知れませんが、そんな気になることがありました。
その一方、個人差はあるにしても、日本は”隠す文化”かも知れないと思うところがあります。
Google で調べてみても同じように思う人々もある様子です。
これも若い頃の男同士の会話で失礼いたしますが
安ホテルにしばらく同居したポルトガル人に次のような会話がありました。
ポルトガル人 - 「何で日本人の男は高いお金を払って、クラブ(キャ○クラ)行くんだ?」
- 「俺なら外の通り道で普通に話しかけるけど...。」
手で笑うのを隠す仕草から、忍者、カラオケ、キャバクラなど...
隠す行為や、隠す人、隠す場所など日本から海外に広まっているものが多く思うのは気のせいではないと思います。
どこの国の人であっても「見せる」ところ、「隠す」ところはあると思いますし、ある程度は必要なものと考えますが、ここ最近のソーシャルメディアや、シェアビジネスの広がりを考えると、世の中「隠す文化」から「見せる文化」にさらにシフトしているように感じます。
今後、「見せる」技術あるいは「隠す」技術を多少努力してでも、身につけていく必要性があるのかも知れないと考えています。