日本を再認識する瞬間
なんとなく、という感覚なのだが、日本食に限らず日本的なものへの許容性というか愛着が、ここ10年ぐらいで大きく増している気がする。トイレは和式より洋式のほうがいい、というのは別にして、日本食も以前より多く食べているような気がするし、日本伝統の色や文化様式が自然に生活に入ってきている感がある。
日本的なものを、若者が分け隔てなく受け入れ始めている、というのも大きいのかもしれない。いまどきの若いもんは、温泉つかって「いやぁ、やっぱニッポンはいいよね」なんていったりする。温泉にしろ、サッカー日本代表にしろ、自国のいいもの、好きなものを喜び、応援することは、ささやかで健全なナショナリズムだ。
海外にいると自分が生まれ育った日本という国を再認識して自然と国を愛する心がめばえるというが、「外資」という環境も、日本を再認識するには近い環境だったりして、日本っていいなと思うことがある。実は、先日行きつけのバーでひとり飲みをしていたら、たまたま隣の席にいた自称「右翼」と称する人に、「国を愛する心」を語られてしまった。
この方、自称「右翼」とのことだが、別に街宣車に乗っているわけでもなく、普通にIT業界で働いている同年齢ぐらいの人だ。石原知事の四男の話題がぷつりぷつりとされる中、語りは突然はじまった。
「四男疑惑といえば、きのうの都議会の石原答弁は面白かったですよ」 振った自分が悪かった。
「なにぃ、君。石原慎太郎のことを悪く言ってはいかん」
どうやらスイッチを押したらしい。
「オレはなぁ、最近、自分は右翼だと自覚した。今私たちがこうして暮らしていられるのは、先の大戦まで多くの若者が国を守るために戦ったからなんだよ。そのひとたちに『ありがとう』と手を合わせてなにがわるい。あ、おかわり」
話はとまらない。
「戦後日本は、国を守るという心を捨ててしまった。国というのは、文化だ。心だ。それが、金だけになってしまったから、エコノミックアニマルなんていわれてしまったんだ。金を使うのはいい。でも、何のために使うかがないと。金のために金を使うんでは魂がない」
「でもな、最近、日本の製造業がものづくりの原点にかえっている。オレはうれしい。これでこそ日本の伝統、日本の匠だ!」
そんなかんじで、うっかり意気投合してしまい、「君のうちに泊めてくれ」とまで言い出されたが、まわりがなだめて先にご帰宅となった。