余震の嵐 (後編)
(続き)
帰宅難民の話も出ている状況で、興行を行ってどうなるのか?
正直言って、私自身は帰るのは諦めていました。
電車が動いていなかったのと、23区内にいる人が、県境の橋を越えることに制限がかかったという噂があったのと...明日も同じ場所で仕事というのもあって。
近隣で仕事をしている方が、帰れないので聴いてみよう、ということもあり得るか?と思ったりもしました。
(この日都内で公演予定のオーケストラのうち、開催決定が墨田区のホールとこちらのみ)
何事も無かったわけではなく、リハーサルの中の余震で避難する際に楽器が一本破損し、急遽都内でレンタルする事態がありました。
楽器を取りにいった人は、間に合わないかと思われたのですが...楽器屋にたまたま使っていない自転車があったのと、道々事情を聞いた人が道を譲ってくれたりといったことが重なって、本番前に着きました。
そして本番。
流石に、舞台上と客席とどちらが多いか?という感じでしたが...いつもより音響のよい状態なのと、二階席のお客様も移動されて、場にいた人の距離が近い感覚。
多分、全員ができることが「ここにいる」ことだったのではないかと思います。
そんな、何かを共有した時間が終わり、皆がホールを出...たわけではありませんでした。
お客様がお帰りになった後。
銀座線と大江戸線復旧の報せで動ける人、歩いて帰ることが選択できる人は帰宅の徒へ。
車で来ている人も帰る人と帰らない人に分かれました。普段ホールから数分の交差点まで一時間かかって引き返して来た人もいました。
ホールのご好意で、避難が可能に。
もう動けないので、普段とは違う街に出ました。
この時にやっと夫と実家の両親に連絡が取れました。
その後、ホールに備蓄してあった非常用毛布と水を受け取り、楽屋の床でお休みなさい...。
時折余震、眠るというより身体を横にしたという感じでしょうか。横になれるだけましでした。また、半地下状態なので、揺れもましな方だったと思います。
翌朝、バックステージに行くとあちこちにまだ眠っている人が。
モニタはずっとニュースが映っていて、都内の状況と、少しづつ何が起きて・どうなりつつあるのか見えて来出した感じです。
起きた人から情報収集を始め、ソリスト用の楽屋のシャワーを借りたりして、まずは準備を。
結局二日目の公演も行われる事に。ホールの安全確認が取れ、事務所が決定。
なお、二日とも来れない方のチケットは別の日への振替対応。
この日は、都内では他にオーケストラ公演は無く、神奈川県で一つ行われました。
都内ホールで人が亡くなる事故があったこと、神奈川の近年できたホールで事故が起きたことがわかりました。
朝から都内はほぼ電車が復旧したとは言え...と思っていたら、お客様がいらっしゃいました。
昨日より多く。
二日間共、本番中は余震が無く、兎に角仕事を終わらせ、帰宅することに。
ホールの最寄り駅で、親しい友人でもある定期会員夫妻とばったり。お互いに抱き合って無事を喜びました。
いつも定期公演の一日目の後に飲むのが常で、3/11もお店の予約はしていたものの、お互いに連絡が取れなくて...という状態。二人はチケットを振替で来たとのこと。昨日の状況を報告し合って別れました。
東京の片隅にいた人間のあの日の話でした。
聴きにいらした方、あの場で仕事をした人、あの日に其々の立場で起きたできごとに正面から立ち向かった全ての人敬意を表します。
あの日のできごとで犠牲になった方々に哀悼の意を表します。