【書評】本当のストラテジストを目指すための一冊『ハーバード戦略教室』
もう卒業から10年以上経つのですが、マサチューセッツの片田舎にあるビジネススクールにMBA留学したことがあります。そのとき同期の中国人留学生と、「戦略と遂行のどちらが重要か」でよく議論になりました。彼は「だらだらと時間をかけて戦略を立てるのは意味が無い、シンプルな戦略を迅速にやり遂げることに注力すべきだ」という意見で、選択科目では戦略系のクラスを一切選ばないという徹底ぶり。僕は戦略論のロジカルな部分に惹かれていたので、そんな考え方もあるのだなと思っていたのですが、いまでも「戦略と遂行」というテーマに接するたびにその頃の議論を思い出します。
しかし『ハーバード戦略教室』の著者であるシンシア・モンゴメリー教授にしてみれば、この議論はナンセンスかもしれません。本書の原題は"The Strategist"。文字通り「ストラテジスト(戦略家)」になるための教科書なのですが(その意味で「戦略教室」という邦題は若干ミスリーディングかも)、彼女は本書で「ストラテジスト」を次のように定義しています。
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本書では、わたしがEOPで学んだことを皆さんにお伝えしよう。戦略とは何であり、なぜ重要で、それを導くには何をすべきか、といったことについて、わたしが学んだ新たな見方を、皆さんにも共有していただきたい。さらには、戦略を成功させるには、専門家の分析および洞察や、ハウツー本の教えだけでなく、正しい判断力と責任感を持って継続的にその取り組みを導く指揮官が必要とされ、それはリーダーであるあなたをおいて他にいないということにも気づいていただきたい。
そうした人物を、本書では「ストラテジスト(戦略家)」と呼ぶことにする。
つまり戦略を立てて終わりという態度でも、誰かに戦略立案を任せてしまうという態度でもダメで、戦略を立て、それを責任持ってリードしていくという姿勢が必要であり、それをやり遂げられる人物のことをストラテジストと呼んでいるわけですね。一般的な意味でのストラテジストに、リーダーの要素を強く加えたものと言えるかもしれません。
なぜこのような捉え方をしているのか、それは本書の背景を知れば納得でしょう。引用文に登場するEOPとは、ハーバード・ビジネススクールが提供しているエグゼクティブ向けコースの通称で、「Entrepreneur(起業家)、Owner(オーナー)、President(経営者)」の頭文字を取ったもの。このコースへの入学を許可されているのは、年間売上が10億円から2000億円の企業のオーナー、あるいは経営者だけだそうです。つまり僕のように超優秀なコンサルタント(※自称です)でも参加することはできず、集まっているのは戦略を立てるだけでなく、それを遂行する立場にいる人々のみ。そんな人々に向けて戦略とは何か、リーダーはそれにどう接していけばいいのかを教えるのがEOPというコースであり、本来ならば私たちが知ることのできない授業内容を、一冊にまとめたのが本書なのです。
シンシア・モンゴメリー教授は、ハーバード・ビジネススクールで20年近く戦略部門のトップとして、同校の教壇に立ってきた人物。ハーバードで戦略論と言えばマイケル・ポーター教授が頭に浮かびますが、彼と共に共著を出版したこともあります。その人物が著したエグゼクティブコースの教科書となれば、かなり難解な内容だろうと思われるかもしれませんが、まったくそんなことはありません。非常に読みやすい文章で、第1講から最終講(第8講)へと授業に近い構成で書かれており、まさにEOPのクラスに参加しているような気持ちで読み進めることができるでしょう。
実際、いわゆる「戦略論」というような内容だと思っていると肩すかしをくらうかもしれません。もちろんSWOTや「戦略の輪」のようなフレームワークも登場するのですが、基本的には(一緒に参加している同期の生徒たちと共に)ケーススタディを解いていくという流れになっていて、具体的なシチュエーションを想像しながら「自分ならどういう戦略をどう遂行するか」を考えることができます。時折「これが戦略論の教科書?」と感じるような哲学的なフレーズも登場し、特にイントロダクションとなる第1講、およびまとめとなる最終講では、狭い意味での「戦略」を超えて、会社や自分自身に対する根本的な考え方が問われることとなります。
さらに言えば、第1講と最終講だけでなく、本書を通じて説かれているのは「大局的な視点から戦略を捉える姿勢の大切さ」ではないかと感じました。SWOTで自社の強みや弱みを把握したり、ファイブフォースで市場分析したりといった、一般的な意味での戦略立案も当然ながら重要なことです。しかしそれで満足してしまうのは、モンゴメリー教授の言う「ストラテジスト」として正しい姿勢ではありません。局所的な戦術ではなく、企業全体としてのビジョンをまとめること。リーダーとしてその遂行に責任を持ち、皆を巻き込んでゆくこと。そして自分と自社が存在する意義を常に問い直すこと。通常こうした検討は、「戦略」と呼ばれる領域とは少し離れたところで行われるようになってしまっていますが、それを再び戦略論と融合させ、本当の意味で戦略が機能するようにさせるというのが本書の目指していることのひとつだと思います。
その意味で本書から得られるアドバイスは、狭い意味での戦略に関するものだけではありません。従って、既に成功を収めている企業の幹部クラスの人々だけでなく、より現場に近い人々や、若い人々が読んでも得られるものが多い一冊でしょう。既にリーダーの立場にいる人々ですら、EOPコースでの特訓に戸惑う人が多いそうですから、むしろ若い人々こそ長い時間をかけて付き合っていく価値のある本と言えるかもしれません。
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