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ロボットに死は看取れるか

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誰にも看取られることなく、自宅などで孤独に死を迎えるという「孤独死」の問題。日本国内では、年間1万5000人以上が孤独死しているのではないかと推定する研究結果もあります。単に死亡を確認できれば良いのであれば、ケースワーカーが訪問する、あるいはセンサー技術を応用して感知するといった方法があるでしょう。しかし死に際して感じる孤独や哀しみを、どうやって癒せば良いのか――この難しいテーマに対して、ロボットを活用しようという話が飛び出しています。

アーティスト兼デザイナーのダン・チェン(Dan Chen)という方が開発した「末期介護マシン(End of Life Care Machine)」というのがそのロボットで、「エンド・オブ・ライフ」という名前の通り、人の最後を看取ることを目的として作られたもの。ロボットといっても人間の形をしているわけではなく、トースターほどの小さな四角形の箱と、ブランコのような奇妙な形をした器具から構成されています。ブランコのような器具の目的は、患者の腕をさすって落ち着かせること。前後ではなく左右に揺れるようになっており、さらにイスにあたる部分の下は柔らかい素材でできていて、ここで腕を優しく刺激するようになっています。そして患者が息を引き取る瞬間まで、以下のような言葉を語りかけます:

Hello ---, I am the last moment robot.
I am here to help you and guide you through your last moment on earth.
I am sorry that (pause) your family and friends can't be with you right now, but don't be afraid. I am here to comfort you. (pause)
You are not alone, you are with me. (pause)
Your family and friends love you very much, they will remember you after you are  gone.  (pause)

こんにちは---さん、私は臨終ロボットといいます。
私はあなたが息を引き取るまで、お手伝いをするためここにいます。
残念ですが(沈黙)ご家族やご友人はいますぐここに来ることはできません。でも心配しないで、私があなたの心を和らげます。(沈黙)
あなたは独りではありません。私が一緒にいます。(沈黙)
ご家族やご友人はあなたをとても愛していました。あなたが亡くなった後も、彼らはあなたのことを思い出すことでしょう。(沈黙)

映像も公開されていますので、実際に動く姿をご覧になりたい方は以下をどうぞ:

何とも奇妙な感覚に襲われますが――実はこれ、チェンさんがインスタレーションとして作り上げたもの。本気で商品化を目指しているわけではなく、人間抜きで人間らしい触れあいが達成されるのかを問いかけるために制作されたということです。マシンが人間型をしていないのは意図的で、機械であることを明らかにした上でロボットが死を看取れるのか?を考えるようになっています。

ロボットに人の心が癒せるのか、という点については既に答えが出ています。様々な「癒しロボット」が登場しているのですが、有名なところでは産総研(産業技術総合研究所)が開発に協力したアザラシ型ロボット「パロ」が挙げられるでしょう。パロは実証実験において心理的効果(うつの改善など)や社会的効果(高齢者同士の会話の増加など)が確認されており東日本大震災の被災地施設に無償貸与されたりもしています。実際にチェンさんが末期介護マシンを制作したのも、パロからインスピレーションを受けたことがきっかけとのこと。

また今回の例ではあえて機械の姿をむき出しにし、ロボットであることを隠していませんが、言葉だけが交わされるメールやチャットのような場面では、人間だと勘違いさせることに成功しているロボット(会話ロボット)が既に登場しています。すぐに思い浮かぶのはチューリング・テストの世界ですが、この点についてはまさにチューリング・テストを題材にした『機械より人間らしくなれるか?』という優れた本が最近出版されているので、ご興味がある方は読まれてみると良いでしょう。同書はチューリング・テストのコンテストに人間側の「サクラ」(ロボットと同様の環境下でジャッジと会話して、人間であることを認めさせる役割)として参加することになった著者が、より人間らしい会話をするために「人間らしさ」を考えてゆくという内容になっているのですが、それを通じて逆説的に、ロボットが人間の会話をある程度まで代替できるようになっていることが描かれています。またチューリング・テストのような高度なアルゴリズムを競うという世界でなくても、例えばTwitterのボット(機械的にツイートを投稿するプログラム)を人間だと錯覚していたという話が度々聞かれるようになっていることを思えば、ロボットに人間らしい会話をさせることは決して無理な話ではありません。

さらに人手不足というニーズの面からも、「ロボットによる看取り」という話が現実味を帯びていると言えるでしょう。日本において医療・介護の分野で慢性的な人手不足が発生していることは改めて説明するまでもないかもしれませんが、今年4月に経済産業省がまとめた2020年の就業構造の将来予測でも、医療・介護の分野で300万人程度の人員増が必要になると見込まれています。さらにターミナルケアとなればより多くの専門スタッフが必要となりますから、誰もが「豊かな死」を迎えられるとは限りません(ちなみに「豊かな死」ランキングで日本は世界23位という結果も出ています)。そんな中で、人間による看取りというベストな選択ではなくても、ベターな選択としてロボットによる介護を望むという声が出てくることも考えられるのではないでしょうか。

いや、人間の心理状態に高度に対応するアルゴリズムが開発されれば、人間よりもロボットの方が上手く患者の心を癒せるようになるという可能性もあるかもしれません。疲れも眠気も知らず、死に臨む患者の傍らで、ずっと手をとって優しい言葉をかけ続けるロボット――それはより優れた医療の姿なのでしょうか、それとも欺瞞なのでしょうか。

この議論に決着がつくまでには、きっと長い時間がかかることでしょう。一方でパロのような癒しロボットが現実の医療・介護の世界に進出し始めていることを思えば、現場ではその延長線上として「臨終の場にロボットが立ち会う」という場面が出てくるはずです(ずっとパロを大切にしていた患者が、最後にパロを抱きしめていたいと願うなど)。実際にはそうした現場での状況が、ロボットが死を看取ることの是非に答えを出してゆくのかもしれません。

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