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【書評】『エイズを弄ぶ人々』

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エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』を読了。ちょうど朝日新聞の書評欄で紹介されているのを見て購入したものですが、震災後のいまというタイミングで読むべき一冊だと感じました。

副題に「疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇」とあるように、本書はエイズそのものを解説するのではなく(説明の関係上、エイズのメカニズム等について簡単な解説はありますが)、エイズをめぐる誤った学説や意見を紹介し、それがいかにトンデモな内容か、なぜそれでも信じてしまう人がいるのかを解説してくれます。エイズ関連だけでなく「疑似科学」や「疑似歴史学」と呼ばれるもの(ホメオパシーホロコースト否認論など)はよく問題になりますが、一連の問題を深く理解するためのケーススタディとしても本書を活用することができるでしょう。

ではエイズをめぐる誤った学説とは何か?という点ですが、実は様々なバリエーションがあります。治療薬の1つであるAZTの効能を否定するものから、HIV(ヒト免疫不全ウィルス)とエイズの関係を否定するもの、さらにHIVの存在すら否定するものまで、とにかくありとあらゆる難癖……ではなく反対意見が存在することが解説されています。しかもこうした意見を唱えるのは、新興宗教の教祖のような怪しい人々ばかりではなく、名の通った学者やジャーナリストも含まれているわけですね。ちなみに付録として主要な「HIV/エイズ否認主義者」のリストも付いているのですが、否認論/否認主義者の多さと広がりにはきっと驚かされるはず。

「官僚機構は有益か?有害か?」のように、明確な結論が出ないテーマであれば、様々な意見が登場して激しい論戦を繰り広げるということは理解できます。しかし客観的なデータからある程度の正しさを導き出せる科学という分野で、そして「反・否認論者」が繰り返し否認論の誤りを指摘しているにもかかわらず、なぜ高名な学者までが否認論に捕らわれてしまうのか。それは是非本書を通じて考えてみて欲しい……と言いたいところですが、個人的に強く印象に残っているのが「否認」という心理です:

厳密に言えば、否認は受動的な対処反応である。心理学用語の「否認」は心理的な防御機能のひとつだ。広く一般に見られる、心的外傷に対する即時の反応で、信じがたいことを信じまいとする無意識の作用の表れである。受け入れがたい苦しみや驚きに直面したときに起こり、ストレス要因やトラウマを現実として受け入れるまでの緩衝地帯を心中にもたらす。

(中略)

有害な否認は、もはや心理的な安全網とは呼べず、それどころか健康を脅かし始める。現実を認めたくないがために、健康の管理や、健康に関する決断のすべてから逃避するようになるのだ。否認主義者が流した情報やいかさま治療の宣伝は、最も攻撃を受けやすい人、特に否認という砦に立てこもっている人に向けられる。否認の状態にある人は「こんなことがわたしに起きるはずはない」と言い、それに対し、否認主義者は大げさに「その通りだ。そんなことはあなたには起きていない」と答える。否認主義は、心理的否認というごく当たり前の人間らしい心理状況にある人々を食い物にするのだ。

本来であれば、問題に直面した人々は、その解決を願って正しい情報を集めようとします。ところが解決よりも心理的なつらさを取り除くことが優先されると(ある意味で「解決したい」という方向性も「心理的なつらさを取り除きたい」という心境の一形態に過ぎないわけですが)、正しいかどうかではなく、心を癒してくれるかどうかで情報を受け入れる・受け入れないを決めるようになってしまうわけですね。例えば否認論者の中には、「政府・製薬業界が癒着して効果のない薬をエイズ患者に売りつけている」などといった陰謀論を唱える人までいるそうですが、そうした説を信じてしまうのも、つらい現実に目を向けるのではなく「解決策がないわけがない、きっと『悪い奴ら』を倒せば簡単に解決されるはずだ」という(実は)安易な結論に飛びついてしまうという心理状態が影響しているのでしょう。

さらに一度そういった否認論に飛びついてしまうと、情報の力を与えてくれるはずのインターネットは、逆にマイナスの存在になりかねません。これまでは疑似科学のようにオルタナティブな存在の情報は、流通段階でフィルタされ、一般の人々の手に届く機会はそれほど多くありませんでした。しかしネットによってありとあらゆる情報が並列に置かれるようになり、さらにフィルタは自分や自分が信頼する人々(当然ながらその思想傾向は自分自身と似たものになります)の責任で行われるようになったいま、「自分が信じたい情報」はいくらでも・簡単に手に入れることができます。HIV/エイズ否認論者の中には、最近になって名誉を回復しつつある人々が存在しているとのことですが、恐らくネットもその責任の一端を担っていることでしょう。

であるとすれば、否認論者の増加を防止するために、私たちには彼らの不安な心を理解すること・ネット上での彼らとのつながりを絶やさないことが求められるのかもしれません。少なくとも「これが客観的に正しい事実だ」という姿勢で(事実正しいと思われる)情報を押しつけるだけに終始する、あるいは「ネット弁慶乙w」のようにネット上でだけ活動することを軽視・軽蔑する、などの姿勢は避けられなければならないと感じています。

震災後、様々なデマや間違った情報がネット上を飛び交っていることが問題視されています。過酷な問題に直面した時の心理状況、そしてネットの存在という状況は、HIV/エイズ否認論が受け入れられる構図と、ある程度似たところがあるのではないでしょうか。その意味で本書を読む意味は、当然ながらHIV/エイズ否認論という危険な動きを日本に入ってこさせないという点に加え、いま新たな否認論・陰謀論が私たちの身の回りで生まれてしまうことを防ぐという点にもあるのではないかと感じた次第です。

エイズを弄ぶ人々 エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇
S. C. Kalichman 野中香方子

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