EV(電気自動車)の怖さは既存市場が混乱することではなく、新しい市場が生まれること
「EV(電気自動車)はエンジンがないためつくりやすく、部品数も少なくて済む。従って新しい自動車メーカーが次々に生まれ、古くからのメーカーは苦戦を強いられるだろう」
――この予測は正しいか否か。オルタナティブブログの中で議論が生まれています:
■ みんな簡単に自動車製造に参入できるように言ってくれるが、それは、自作でPCが組み立てられたらサーバーメーカーになれる、っていうのと同じでは? (抱き込め!ユーザー、巻き込め!デベロッパー)
この記事の中で妹尾さんも指摘されていますが、「エンジンさえモーターに置き換われば、誰でも自動車がつくれる」というのは極論です。安全性や乗り心地など、他にも様々な点をクリアしなければ「自動車」にはなり得ません。また良い物をつくれば売れる、というのも幻想であり、マーケティングやアフターサービスなどの領域を整備する必要があるでしょう。そう考えると、少なくとも短期的には日本の自動車メーカーが新興EVメーカーに駆逐されるという可能性は低そうです。
しかし「破壊的イノベーション」が生まれるとき、それを最初に受け入れるのは、既存テクノロジーのターゲットからは外れた人々(無消費者)であることが多いことを、同理論の提唱者であるクレイトン・クリステンセン教授は指摘しています。無消費者は既存のテクノロジーを使った経験が少ないため、新しく登場したテクノロジーの短所も気にならないわけですね。例えば据え置き型の高価なオーディオ機器を使っていた大人たちは、携帯型音楽プレーヤーの低音質を鼻で笑っていたわけですが、若者たちはそれを気にせず、むしろ自分たちも音楽を楽しめること・しかも好きな場所に音楽を持ち歩けることの方に価値を見いだしたわけです。似たような話は、最近のITやハイテク製品の市場を見ればいくつも見つけることができるでしょう。
EVを破壊的イノベーションと捉えた場合、同じことが起きる可能性があるのではないでしょうか。既存の自動車を手に入れることができない人々が最初にそれを受け入れ、安全面等での短所を気にすることはなく(そもそも比較対象を持たないので)、むしろ目の前にあるテクノロジーに合わせて社会やライフスタイルの方を変えていく――そんなことが実際に、中国の地方で起きつつあります。日本でも「若者のクルマ離れ」が問題になっており、その一因が経済的な理由によることが指摘されていますから、彼らをターゲットとして、中国やインドのメーカーが超低価格EVを国内で発売するなどという可能性はゼロではないと思います(もちろんその際には、日本国内のルールをクリアすることが障壁になりますが)。
その時、日本のメーカーはどうするのか。有利な戦いができる国内の自動車市場で生き残り、新たなガラパゴスをつくり上げるのか。あるいはゲームのルールが根本的に異なる市場に対応するために、自らを再編するという困難な事業にチャレンジするのか。そして日本の社会は、どんな移動手段に合わせたインフラを整備していくべきか。目を向けるべきはそこであり、新興EVメーカーの(現在の市場から見た)問題点を指摘しているだけでは、議論は不十分なのではないでしょうか。
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