カスタマーレビューに「公共性」はあるか?
昨日の朝日新聞を読んでいたら、「Amazon が好意的なカスタマーレビューを削除したことに、対象だった本の著者が不満をもらしている」という記事を見つけました。ネット上でも論争を巻き起こしているので、既にご存知の方も多いと思います:
■ アマゾン、消された書評 著者・水村さん「公正さ疑う」 (asahi.com)
その著者とは水村美苗さんで、問題の著作は『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』。この本自体、ちょっと前に梅田望夫さんや弾小飼さんを巻き込んで論争になったことがあるので、ご存知の方が多いでしょう。で、何が起きたかというと
「日本語が亡びるとき」の発行部数は5万部。版元の筑摩書房によると、同書の「レビュー」のうち、昨年11月5日の配本から12月15日までの間に五つ星レビューが少なくとも六つ消失した。
とのこと。そこで筑摩書房が削除理由について問い合わせたところ、「アマゾン側から、六つのうち一つは『原因不明』、五つは『800字以上の長文のためガイドライン上不掲載処理した』と回答があった」そうです。しかし筑摩書房と水村さんは「800字をはるかに超えたレビューにも消えていないものがある」として納得しておらず、
水村さんは「外部の意見で簡単にレビューが削除されるのではないか。こうした事実を利用者に明らかにせずに掲載しているのは、公共的な責任を果たしているとはいえない」としている。
という意見が述べられています。
ご存知の通り、Amazon のカスタマーレビューは「報告する」メニューをクリックすることで削除申請することができます(CGM系のサイトではお馴染みの機能ですね)。前述の通り、『日本語が亡びるとき』は賛否両論ある本ですから、「アンチが好意的なレビューに対し削除申請をしまくり、Amazon 側が機械的に削除してしまった可能性があるのでは」という推測がネット上では強いようですね。いずれにせよ、無意識のミスではなく何らかの意図が働いたのでは、と思わせる出来事です。
しかし水村さんの意見の中にある「Amazon は公共的な責任を果たしていない」という部分に、個人的に違和感を感じます。Amazon はあくまでも私企業で、公共サービスを展開しているわけではありません。そのサイトに何を載せ、何を載せないかは Amazon の手に委ねられているというのもある程度仕方のないことではないでしょうか。「カスタマーレビューの著作権は書き手にあり、それを勝手に書き換えたり、削除したりするのは許されない」という訴えなら分かりますが、「カスタマーレビューの公共性」という議論は腑に落ちません。
もちろん、「カスタマーレビューは商品を買うか買わないかを左右する重要な指標であり、それを恣意的に変更することは消費者利益に反する」という考え方はあると思います(それを「公共性」と呼んでいるのかもしれませんが、本来の意味からは外れるでしょう)。個人的にも Amazon のレビューや星の数を見て購入を決めたという経験がありますし、それが何らかの意図の元に改変されていたとしたら良い気はしません。しかしそれによってカスタマーレビューの信頼性が薄れ、Amazon のサイトをチェックする意味が薄れてしまえば、不利益を被るのは Amazon も一緒です。名前は挙げませんが、明らかに不正操作が行われている、あるいは第3者による不正操作を排除できていないと感じるカスタマーレビューを掲載しているサイトがあります。そんなところでは買い物する気が失せますし、積極的にアクセスしようとも思いません。そういったユーザー側の反応があるだけで、公正なカスタマーレビューを掲載しようというサイトが残っていくのではないでしょうか。事実、Amazon は「このレビューが参考になった人の数」を出すようにするなどの工夫をしていますし、そもそも「報告する」機能が不正を排除するために設けられているものです。
いやいや、そうは言っても「ウソをウソと見抜ける」消費者ばかりではないのだから……という意見はよく分かります。その意味で、今回水村さんと筑摩書房が問題を指摘したことは大きな価値があると思いますし、「なんで消えたの?」という問いかけることは当然でしょう。しかし「公共性」という切り口から Amazon の行動を律するのは無理があるのではないか、と感じた次第です。