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リヤカーは死んだか

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リヤカー」という言葉に、いったい何人の人が反応してくれるのでしょうか。僕は小学生の頃、学校でよく使ったものですが、都市部で成長された若い方々にはピンとこない単語かもしれません。そのリヤカーが、先日日経ビジネスの記事のタイトルになりました:

ヤマト運輸を救った日本最後の“リヤカー職人集団” (日経ビジネスオンライン)

都内にリヤカーメーカーが残っているというだけでも驚きなのですが、消えゆく運命かと思われたリヤカーが、現代に意外な活路を見出しているというニュースです。とはいえ以前も話題になったことがあるので、以下の引用部分、ご存知の方も多いかもしれません:

例えば、宅配便向けの小型リヤカーという分野がある。

ビジネス街や商店街など車が入れない場所で宅配便の荷物を集配する際に使うもので、10年ほど前からヤマト運輸の依頼で製造を開始。2006年6月に改正道路交通法が施行され駐車違反の取り締まりが強化されると、他の宅配会社からも受注が入り、現在、月間100~200台のペースで生産中だ。

運輸業以外でも、リヤカーを屋台のように利用して、住宅地でモノを売るといった商売を見かけたことがある方もおられるでしょう。「小回りが利く」という以前からあった利点、そして「道交法改正によりクルマに頼れない場所が増えた」という環境変化が、リヤカーを「死の淵から救った」わけですね(ちょっと大げさですが)。

さてさて、いま塩野七生さんの『マキアヴェッリ語録』を読んでいるのですが、その中にこんな言葉が登場します:

今までにも幾度も述べてきたように、人の運の良し悪しは、時代に合わせて行動できるか否かにかかっているのである。

ある性格が成功へと導くこともあれば、失敗をもたらすこともあることについて「それは周囲がどんな環境によるんだよ」と述べた一文です。慎重に行動することが美徳となる時代もあれば、即断即決でないと幸運を逃す時代もある、と。考えてみれば当然の話ですが、これは人だけでなくモノや技術にも言える言葉ではないでしょうか。リヤカーのように「このまま廃れるだろう」と思われたものであっても、場所と時代によっては再び価値を取り戻す。いや、相手はモノ・技術ですから、「使い手が適切な環境を選べば価値を(再)発見できる」と表現すべきですね。

古来より様々なものが「死んだ」と評されてきました。最近のIT界でも、メインフレームやブログなどが血祭りにあげられていますが、どちらもちゃんと生き延びています。「~は死んだメソッド」を意図的に使っているのでもない限り、「これはもうダメだな」と決めつけてしまうのは慎重になった方が良いかもしれません。

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