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読んでから語ってみました。『読んでいない本について堂々と語る方法』

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某ベンチャー企業の取締役が「本を読まずに批判コメントを書くバカが多い」と発言して物議を醸した直後というだけあって、ネットでも話題になった本『読んでいない本について堂々と語る方法』を読んでみました。いや、タイトルだけ見ると「何の冗談?」と思わてしまうかもしれませんが、師走の忙しい時間を割いてでも読む価値のある一冊でしたよ(何しろ本書は、ニューヨーク・タイムズが選んだ昨年度のベスト100冊に、フランス人の本として唯一ランクインしているそうです)。

本書の主張を一文にまとめれば、「本について語る場合に、その本を読んでいる必要はまったくなく、むしろ読んでいることがマイナスになる場合もある」といった具合でしょうか。そんなはずがないだろう、と考える読者に対して、著者のピエール・バイヤール氏(精神分析家で、パリ第八大学の教授)は「本とは何か」「語るとは何か」という問題について考察を促し、私達が思うほど「本についての正確な中身」は重要ではないことを示します。そう、本書は一見安直なように見えて、実は「本について語るとは何か」という本質的な部分を考える本なわけですね。

言われてみれば、本というのは物理的・客観的な存在である以上に、精神的・主観的な存在です。例えば『日本語が亡びるとき』という本そのものは確かにそこに存在し、目で見て手で触れられるものですが、その内容は読者一人ひとりの頭の中にしか存在しません。本書ではこれを「内なる書物」と呼び、読者の思想や生きてきた社会環境によって影響を受けるとともに、さらには時間による醸成や忘却によって常に変化するものだと指摘します。『日本語が亡びるとき』を読んだ読者の間でまったく異なる反応が出るのは当然のことですし、「以前大好きだった本を読み返してみたら、それほど面白くなかった」という経験はごく普通のことなわけですね。

さらにこの「内なる書物」は、本について語られる状況や、議論に参加する人々の間で共有される情報に応じて「幻想としての書物」に発展し、もはや元々の内容はさして重要でないことが指摘されます:

本というものは、〔物理的な意味での〕本である以上に、本が人の手から手へと渡り、変化してゆく言説状況の総体である。だとするなら、読んでいない本について正確に語るためには、この状況にこそ敏感でなければならない。というのも、問題となるのは本ではなく、本が介入し変化してやまない批評空間において、本がどう変わったかということだからである。この変化する新たな対象は、テクストと人間との諸関係からなる動く織物である。(181ページ)

このように、われわれが話題にする書物というのは、客観的物質性を帯びた現実の書物であるだけでなく、それぞれの書物の潜在的で未完成な諸様態とわれわれの無意識が交差するところに立ち現れる<幻影としての書物>である。この<幻影としての書物>は理論的には現実的物象としての書物から生まれるはずのものだが、われわれの夢想や会話というのは現実の書物よりもこの<幻影としての書物>の延長線上に花開くものである。(191ページ)

この「幻影としての書物」や、「幻影としての書物をベースにした議論」が悪であるかというと、そうとも言い切れません。本書はその良い例として、アフリカ西海岸に住む「ティヴ族」という部族と『ハムレット』について議論する、という一風変わったケースを持ち出しています。詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、ティヴ族は『ハムレット』の概略を解説されただけにもかかわらず、実に有意義なコメントを行うことができたのでした。それは「良い議論を行えるか否か」は「幻想としての書物」の存在にかかっているのであり、「元の本の内容が正確に頭の中に入っている」というのは必須条件ではないから、なわけですね。

「本を読むこと」と、言い方は悪いですが「本をダシにして語ること」は全く異なります。「読まないで内容を語るのは失礼」という議論ならいざ知らず、きっかけはどうであれ良い議論をしたいのであれば、本を読んでいるかどうかではなく議論の中身を問題にすれば良いだけのこと。個人的にも、冒頭の某取締役の発言が引き金となった「『日本語が亡びるとき』論争」は非常に有意義で、得るものが多い議論でした(僕自身『日本語が亡びるとき』を全く読んでいなかったにもかかわらず)。だとすれば、CGMという環境下で数多くの「読んでいないのに語る人々」が議論に参加する状況は、嘆くどころか逆に歓迎すべき状況であるはず――『読んでいない本について堂々と語る方法』はそんな結論を与えてくれる一冊でした。

ちなみにこの本自体、「読まずに堂々と語る」を実践しています。詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、ある壮大な引っかけが行われていますので、飛ばし読みをされる方は是非196ページの種明かしを事前に読まないようにご注意下さい。

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