読むのがちょっと辛い?『漂流巌流島』
以前、恩田陸さんが朝日新聞で書かれていた書評について触れたことがありましたが(こちらの記事)、実はその際に紹介されていたもう1冊の本『漂流巌流島』を買って読んでいました。ちなみに恩田さんがどのように紹介されていたかというと:
『漂流巌流島』では、誰もが知っている歴史上の事件の真相を、現在残っている史料だけを手掛かりに推理する。たとえば表題作である宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘は、武蔵が実は遅れなかったという史実から、この決闘事件そのものを全く異なる枠組みで解釈してしまう。もちろん、これが真実だという保証はどこにもない。ただ、残された一次資料からそういう解釈もできる、ということが大事なのである。
(2008年10月5日 朝日新聞15面「マンスリーブックマーク」欄)
とのこと。これ以上補足することもない紹介文なのですが、1つだけ述べておくと、『漂流巌流島』はミステリー小説仕立てになっている本です(全4話から成る短編集)。主な登場人物は、主人公であるシナリオライター「僕」と、彼が尊敬する低予算映画のプロ・三津木監督。三津木監督がオムニバス形式の時代劇映画を撮ることになり、その下調べを押し付けられた主人公が、様々な史料を集めて推理を展開するという形式になっています。主人公は読者を代弁する立場で、史料というエビデンスを提示すると同時に世間一般の通念をなぞっていくのに対し、三津木監督は思いも寄らない、それでいて提示されたエビデンスに矛盾することもない新解釈を組み立てる、というのが各話に共通する構図。
この新解釈というのが実に奇想天外なのですが(ちらっと解説するだけでもネタバレになってしまうので、気になる方はぜひ本編を読んでみて下さい)、確かに史料に反するものではなく、さらには「各史料の間に存在する矛盾」(例えば文献Aでは武蔵が決闘に遅れたことになっているのに、Bでは逆に小次郎を待ちかまえているなど)をも解決するような説になっています。ノンフィクションの線を守りつつ、フィクション的な話の飛躍も実現しているのは、見事の一言でしょう。
様々な事実をかき集め、その中からストーリーやメッセージを紡ぎ出す。それは歴史小説の作家だけでなく、多くの方々が日々仕事で実践されていることでしょう(読んで面白いストーリーを描くか、最も事実に近いであろうストーリーを採用するかという差があるだけで)。特にコンサルティングを生業とされている方には、必須スキルの1つだと思います。その意味で、この本は思考力を鍛える教本にもなってくれるように感じました。例えば三津木監督が解釈を述べるパートを読む前に、小説の中で提示される史料だけで自説を構築してみる、なんてことをしてみても面白いかもしれません(もちろんそんな無粋なことをせず、純粋にミステリー小説として楽しむだけでも良いのですが)。
ちなみに、かなり個人的な話になってしまうのですが。「僕」が史料を基に行った分析を、三津木監督からコテンパンに論破され、逆に筋の通った考察を展開されてしまうシーンが毎回非常に身につまされました(三津木監督の言葉だけでなく、「僕」をあしらう態度にも注目です)。そこがこの小説の面白さなのですが――いや、上司にプレゼン資料をチェックしてもらう(そしてダメ出しされてしまう)自分の姿がどうしても重なってしまって。主人公が監督にロジックの弱いところを指摘され、「……」「――」と黙り込んでしまう度に、お腹がキリキリと痛んでしまいました。同じような経験をされている方には、少々読むのが辛い小説かも?