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オフライン検索スキルを磨け

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『クーリエ ジャポン』の9月号に、「『グーグル化』でヒトはバカになる」(原題"Is Google making us Stoopid?"、ちなみに"stupid"のタイポではなく"Google"にかけてあるわけですね)と題された記事が載っています。筆者はあのニック・カー氏。お馴染みの方も多いと思いますが、Wikipedia 批判の急先鋒に立っている人物です。と書くと、「とにかくネットは気に喰わん!」などという日本の自称「識者」のような人物を想像してしまうかもしれませんが、実際はその反対。緻密なリサーチを重ね、論理的に議論を行うタイプです。

で、その彼がどんなことを言っているのか。ボリュームのある記事なのでまとめづらいのですが、大まかに言えばこんな感じです:

かつては知識を得るのに時間をかけ、手にした情報はじっくり精査するものだった。しかしネットの世界では、Google でちょっと検索をし、リンクをクリックするだけで瞬時に膨大な情報が手に入る。次から次へと情報が飛び込んでくる中で、集中力はそがれ、断片的な情報のみを集めるようになる。そんな新しいスタイルに私の脳は適応しようとしているが、それによって何かを時間をかけて考える力が失われてしまうようだ――

というもの。繰り返しますが長い記事ですので、興味を持たれた方はぜひ原文を読んでみて下さい。

情報を得るための従来の方法やスキルが、急速に人々の間から失われている。同じような主張を、ちょうど最近買った『ウィキペディア革命』で読んだばかりでした。ここでは「学生たちにレポートを書くよう指示すると、ウィキペディアから大量の引用がなされる。それを批判すると、逆に学生から『昔はどうやって調べ物をしていたんですか』と聞かれる始末」という話が紹介されているのですが、確かに自分自身、ネットが登場する以前はどうやって調べ物してたっけ?と不思議に感じてしまうことがあります。

しかし当然のことながら、たとえ今日であっても、ネットで検索するだけが情報を入手する唯一の方法ではありません。例えばつい最近ですが、未だ出口が見えない毎日の「WaiWai 事件」において、マイクロフィルムまで調べて証拠をつかむということがあったそうです:

図書館と一般人が新聞社の脅威になった日(図書館情報学を学ぶ)

この記事に対するブクマコメントの中で、「マイクロフィルムを調べるなんて誰でも思いつくだろ」的な指摘がありますが、個人的にはその意見は中途半端だと思います。例えマイクロフィルムというものの存在を知っていても、それがどこで閲覧できるか、どこまで「使える」ものかを知っていること、さらに「実際に図書館に出かけて閲覧する」という行為を行うまでの間には大きな隔たりがあるでしょう。少なくとも万人ができる行為ではありません。

また同じくブクマコメントの中で、「もうすぐ Google が過去の新聞情報まで閲覧可能にするから(=もっとネットだけで調査できるようになるから安心?)」というような意見もありましたが、これも楽観的過ぎるように感じます。少なくとも Google が世界のあらゆる情報を検索可能にするには長い時間がかかるでしょうし、ネットに載ることを想定しないで作られたコンテンツをネットに載せたとしても、「ネット的な情報検索方法」でどこまでそれを有効に再利用できるでしょうか。コンテンツとメディア、そしてその有効な利用法は、ある程度セットになってしまうものだと思います。

個人的には、Google で人間はバカになるとは思いません。逆に検索エンジン等のウェブサービスがもたらす効率化という側面は、一個人が持てる調査力を飛躍的に高めると思います。しかしオンラインの時間が長くなることで一定の思考法に染まってしまい、それでしか考えられなくなる危険はあるのではないでしょうか。人間の脳までがネットに接続するようになった、攻殻機動隊のような世界ならいざ知らず、まだまだオフラインのものが圧倒的多数を占める世界では、古い情報収集方法もバカにせず身につけておく必要があるのだと思います。

しかし前述のニック・カー氏の記事の中では、ある調査の結果、「人間はオンライン的なブラウジングがしたいために、オンラインサービスを利用するのではないか」という推察がなされたそうです。放っておくと、オンラインになれた脳は、ますます検索エンジンを求めてしまうのかもしれません。例えば「何か調査する時は、オンラインで過ごした時間の2倍をオフラインで過ごす」などといった、何らかの強制的な対抗策が必要かもしれませんね。

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