「羞恥心」を見て恥を感じるべきなのは
またまたソースは雑誌『PEN』の最新号なのですが、最近イギリスでは、某国と同様に小中学生の学力低下が懸念されているのだそうです。で、その原因の1つとしてやり玉に挙がっているのが、なんと「セレブへの憧れ」。
教育の現場に立つ教員たちは、マスコミに登場するスポーツ選手や、セレブに憧れる子どもが増加している」と口を揃える。子どもたちの根底には、勉強をしなくてもセレブになれば人生の勝ち組であり、テレビに出演し金儲けができる、といった短絡的な発想があるらしいのだ。
だそうです。憧れの具体例として挙げられているのが、デビッド・ベッカムやビクトリア夫人、パリス・ヒルトンなどなどの面々。ベッカムは努力と才能でいまの地位を掴んだ人物ですから、上記のような「セレブ批判」は可哀想だと思いますが、パリス・ヒルトンは確かに教育上良くないかも……なんて。
まぁ具体的なデータが挙げられているわけではないので、どこまで信頼できる情報かは分からないのですが、この話を聞いてあることを連想しました。それは、米国に住む黒人のメンタリティ。米国ではアスリートとして成功する黒人が多いため、黒人の子供たちはスポーツの分野に力を入れるようになり、結果として勉強がないがしろにされているのではないかという議論があります(参考)。セレブかスポーツ選手かという違いはありますが、「勉強しなくても~になれば」という思い込みが問題とされている点で、上記のイギリスの子供たちと同じ話でしょう。
しかし米国の黒人の場合、別の要素にも注目しなければなりません。それは歴史的・社会的な理由から、低所得者層から抜け出せないでいる黒人が存在し、彼らにとってはアスリートとして活躍することが社会的成功を勝ち取る数少ない道の1つだ――という点です。であれば、問題は「スポーツ選手がロールモデルとして提示される」という面だけでなく、「他のロールモデルが存在しない」という面の2つから構成されていると捉えなければ不十分でしょう。よく調べなければ分かりませんが、イギリスの子供たちの「セレブへの憧れ」問題についても、こういったロールモデルの不在という面があるのかもしれません。
さてさて、近ごろ日本では「羞恥心」という男性ユニットが人気を博しているのはご存知の通り。彼らに限らず、最近はバカ……ではなく「おバカ」という点を売りにしている芸能人が増えているわけですが(この表現の違いは重要ですね)、「バカを肯定するな」「バカでもいいんだ、と子供たちが勉強しなくなる」という批判を耳にすることがあります。真剣な議論ではないと信じたいところですが、仮に本気で批判されているのだとすれば、ここでも上記のような「ロールモデルの不在」という面を忘れてはいけないのではないでしょうか。「羞恥心(他のおバカ芸能人、セレブでも可)に憧れる子供が多くて困る」という声を耳にして恥ずかしさを感じるべきは、他の理想像を見せてあげることのできない、僕たち大人なのではないかと思います。