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「なんとなく鎖国」

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先日、海部美知さんの『パラダイス鎖国』をご紹介したばかりですが、もう一つ「鎖国」ネタで。今朝の朝日新聞に「なんとなく鎖国」という言葉が登場していて、その響きが面白かったので紹介してしまいます。

この言葉が出てきたのは、朝日新聞3月12日の23面にあった「江戸時代は本当に鎖国か」という記事。 運良く?ネットでも公開されていたので(例によってすぐにURLが変わってしまうでしょうが)、ご興味のある方はどうぞ:

江戸時代は本当に鎖国か? 見直し進む対外歴史研究 (asahi.com)

「鎖国時代にもオランダや中国など、限られた国と交流があった」ことはご存知だと思いますが、最近では「特に孤立していたわけではない」という見解が主流なのだそうです。中には「鎖国」の言葉そのものを使わない教科書も登場している、のだとか。その理由について、ポイントをまとめてみると:

  • 明確に外国船の往来を禁止した場合もあったが、中国(明)に国交を求めて断られたり、イギリスがオランダとの競争に敗れて日本から撤退するなど、想定外の要因で海外との交流が減るという要素もあった(意図的な孤立化ではない)。
  • 欧州との関係を制限したが、東アジアとのつながりは保った(完全な孤立化ではない)。
  • 従来の研究では、17世紀の日本を国際社会から孤立していく過程ととらえ「鎖国」と呼んだが、同時代の世界では同様に「閉じた」国家が多く存在した(日本だけが特別ではない)。

こんな感じ。そして、

山川出版社「新日本史」に至っては、本文中にまったく出てこない。著者の藤田覚・東京大教授は「幕府は最初から鎖国を意図していたわけでない。その状態がたまたま200年ほど続いた『なんとなく鎖国』だったと考えるほうが実態に近い」と理由を明かす。

のだそうです。気づいたら「鎖国」状態だった、とは何とも日本人らしい話かもしれませんが。また後世の人々の「我々は世界の中で特別な存在なのだ」と思いたい意識が、「明確に孤立していた」という鎖国論を受け入れやすかった、という心理的要因もあるかもしれません。

いずれにしても、「なんとなく」という惰性で続いている政策、無批判に「我々は○○だから」という思い込み支持されている施策などは鎖国の例にとどまらないのかもしれませんね。「なんとなくシェア一位主義」「なんとなくニッチ追求戦略」「なんとなく広告収入依存モデル」など、いろいろ応用型が考えられそう(笑)……って笑い話で済ますのではなく、「この政策、過去にどんな経緯で生まれたんだろう?」と改めて考えてみるように心がけるべきなのでしょうね。

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