オルタナティブ・ブログ > シロクマ日報 >

決して最先端ではない、けれど日常生活で人びとの役に立っているIT技術を探していきます。

肉を食べるのが3倍怖くなる『眠れない一族』

»

Photo_2

書評です。これも Passion For The Future で紹介されていて、ずっと気になっていた本『眠れない一族』を読み終えました。評判通りの面白さ、そして背筋が凍るような怖さを堪能しましたよ。

タイトルの通り、イタリアに住む「眠れない一族」を紹介するところから話は始まります。この一族を苦しめているのは FFI(致死性家族性不眠症)と呼ばれる病気で、主に中年期に発症し、発症すると異常発汗・不眠状態などを引き起こした後に死に至るというもの。実はこの FFI、日本でも大問題となった BSE(牛海綿状脳症)と同様プリオンによって引き起こされる病気で、話は他のプリオン病の説明・プリオンが発見されるに至った経緯などにも及びます。つまり「眠れない一族」を軸にしつつ、プリオン病の全体像が解説される、という内容。

この本、未知の疫病に立ち向かう人々が描かれているといういう点で『感染地図』(Polar Bear Blog での書評はこちら)を連想させます。しかしコレラと違い、プリオン病は現在進行形の脅威。それだけに肉を食べるのが怖くなってくるのですが、恐ろしいのはこの病気が悲惨な症状をもたらすという点だけではありません。もっと危機感を覚えるのは、立ち向かうべき人間達が愚行を繰り返す姿が、これでもかと描かれている点です。

『感染地図』では、医師のジョン・スノーと牧師のヘンリー・ホワイトヘッドという2人のヒーローが登場し、彼らの姿が「危機にはどう対処すべきか」という模範を示してくれます。しかし『眠れない一族』に登場するのは、小児性愛者の小児科医・ガイジュシェックや権威欲丸出しの学者・プルジナー(共にノーベル賞受賞者)、そして産業を守りたいという意識から疫病への対処が遅れる役人たちなど、手放しでは賞賛できない人たちばかり。また知らず知らずのうちに(多くは利己的な目的のために行動した結果)プリオン病を広めてしまう人たちも登場するなど、この問題が解決する日が来るなどとはとても思えなくなってきます。

例えば BSE という単語。この名前はイギリスの農漁食料省によって考え出されたものなのだそうですが、その理由について、本書で以下のような解説があります:

農漁食料省は、この病気を「ボウヴァイン・スポンジフォーム・エンセファロパシー(牛海綿状脳症、略して BSE)と正式に命名した。この難しい名称の採用には、スタンリー・プルジナーが伝達性ウィルス性海綿状脳症を「プリオン病」と名づけたのと正反対の理由があった。同省は、できるだけ早くこの用語が忘れ去れることを望んでいたのだ。ボウヴァイン・スポンジフォーム・エンセファロパシーは「獣医師の舌をもつれさせ、牛の脳を破壊する」病気だと『エコノミスト』誌は皮肉っている。この名称は、世話係を蹴ったり、膝をついたまま飼育係に突進していったり、頭突きをしたりするという、BSE 特有の著しい症状の実体をほとんど言い当てていなかった。

とのこと。つまりこの病気が発生した際に、騒ぎを大きくせず、イギリスの畜産業を守るために生み出されたのが「BSE」という言葉だったわけですね(結局ジャーナリズムが生み出した「狂牛病」という言葉の方がメジャーになるわけですが)。まぁ日本人には笑えない話ですが、どんなに危機が深刻であろうと、人々がそれを打開するために最善の手を尽くす……とは限らないということが、この本を読んでいると痛いほど分かります。

『感染地図』が危機に直面した人々への教師となる本であるなら、『眠れない一族』は逆に反面教師となる本かもしれません。むしろヒーローが現れてことごとく正しい選択を行うなどということが起きる方がまれで、プリオン病を取り巻く状況のように愚行が繰り返される、という方が現実なのでしょう。実は唯一、人類がプリオン病に対して打った対抗策で効果的だったものがあるのですが……詳しくは本書で確認していただくとして、それが科学力によるものではなく、生物としての人類に備わっている力(ちょっとネタバレしてしまうと、進化によるプリオン病への適応)によるものだったということが何とも皮肉に感じられます。

ということで、本書を読んだあとは、肉を食べるのが3倍怖くなります。新人歓迎会は焼肉屋で、などと計画中の方は読まない方がいいかも。しかしプリオン病に限らず、脅威には人為的な要素が必ず存在するのだという警告を与えてくれるという点で、本書を読む価値は大きいと思います。

Comment(0)