プロジェクトに「厄日」を
今朝の朝日新聞に「厄年ってなぜあるの」という記事があり、なるほどねーと思いながら読みました。個人的には、「厄払いを収入源にしたい人々が騒いでるんじゃないの?」という穿った見方をしていたのですが(ごめんなさい)、歴史的ないわれは当然として、様々な存在意義があるようです。
その中で、個人的に一番気に入ったのが次のコメント:
じゃあ、あんまり気にしなくてもいいのかな。
「いや、人生の中盤で一度立ち止まってみる。これは、大事な厄年の役割なんですよ」と話すのは東邦大学医学部教授の中の弘一さん(53)。
中野さんは心療内科医。何となく調子が悪くて会社に行けない65人を調査したら、40歳代の男性が20人で最も多かったんだ。
中年は、「オレの人生、このままでいいのか」という自らの悩みに加えて、思春期に入った自分の子供からも突き上げられ始める。厄年は、「更年期にあたる男性の心の危機を示唆している」んだって。
という内容。なるほど、「厄年」を一歩立ち止まって、自分の過去を振り返ってみる時間と捉えてみれば、「なんだか脅されているようで嫌だなぁ」というネガティブな感情も消えるかもしれません。また「神頼み」以上に、自分の将来にとってプラスになってくれるかも。
順調に歩いているときこそ、実は注意が散漫になる時間だったりします。「厄年」というのは、「ちょっと待って、そのままの姿勢でいいの?何か悪いことが起きるかもよ?」と注意を促すため、として使えるかもしれません。新しいアイデアを考える際にも「Devil's Advocate」(ロジックの弱点を洗い出すために、わざと否定派を演じること)なんて役回りがあるように、「あえて否定的に考える」ための期間としても良いかもしれませんね。
とここまで考えてふと思ったのですが、プロジェクトでも厄年ならぬ「厄日」をあらかじめ決めておくというのはどうでしょうか。例えば毎月「9(=苦)」のつく日を厄日にして、その日は皆で「何か悪いことが起きるかも」と疑心暗鬼になり、徹底的にプロジェクトの落とし穴を探ると。しかし毎日不安になっていると疲れてしまうので、厄日のうちに問題点への対策を立案・実施してしまい、翌日からはポジティブな気持ちになって頑張るわけです。
わざわざ「厄」なんて言葉を持ち出すのは縁起が悪い、と思われてしまうかもしれませんが、悪いことからは得てして目をそらそうとしてしまうもの。あえて悪い想像をめぐらす、というのも一理あると思うのですが、いかがでしょうか(え、既に毎日不安でしょうがないって?それは困りましたね……)。