思考実験:年末年始が無かったら
おかげさまで昨日から、年末年始のお休みを取らせていただいています。そこで娘と一緒に井の頭公園に遊びに行ったのですが、動物園(井の頭自然文化園)はお休み。それなら白鳥のボートに乗ろう!ということで池に向かったのですが、なんとこちらもお休み。うーん、せっかくの休日なのに……という残念な結果になってしまいました(よく調べていかなかった僕らが悪いのですが)。
考えてみれば、年末年始というのは単純に「仕事が休みで良かった!」という面だけではありません。お店も休みになるし、年賀状の準備もあるし、いつもは混まないような場所が人混みでいっぱいになる。親戚が多いとお年玉の準備も大変だし、何より休みの前には仕事を片付けなければならない……などなど、不自由なこともいっぱいあります。休むだけならばゴールデンウィークのような大型連休だっていいのですから、いっそのこと「年末年始」という発想を無くしてしまったらどうなるでしょうか?
その場合、12月から1月へと変わることは、1月が2月へ変わるのと一緒で「単なる時間の経過」に過ぎなくなります。お休みを取る人もいれば、取らない人もいる。「お正月休み」という概念が無くなってしまうので、その分有給休暇を増やす必要はありますが、逆に「ゆっくり休めるように、休みの前に1.5倍働く」などという不条理が無くなるでしょう。また当然、上記のような「他人も一緒に休むことによって発生する不自由」も無くなります。さらにお年玉をあげる必要もない!
しかし年末年始という発想が無くなった場合、1つ大きな問題が起きる可能性があります。年末になると恒例なのが「今年の10大ニュース」的な企画ですよね。また年が明けると「今年の抱負を考えようか」という気持ちになります。これらの引き金となっているのが「年末年始」という節目の存在なわけですから、それが無くなれば、当然こういった振り返り/目標設定も無くなってしまうかもしれません。
ただ年末年始が無くなった場合、人々はそれに代わる「節目」を用意するようになるのではないでしょうか。ある人はこれまでと同じ「1年」を単位を考えるかもしれませんし、別の人はもっと短い単位、「1ヶ月」や「1週間」で振り返り/目標設定を行うのが適当と考えるかもしれません。考えてみれば、どんなスピードで生きているかは人それぞれです。「1年の始まり/終わり」という概念が無くなれば、逆に自分に合った時間設定が考えられるようになる可能性もあるのでは、と思います。
……ということで、無茶苦茶な思考実験でしたが「年末年始」という枠組みを外してみるのは意外と有意義かもしれません。さすがに法律的に(?)年末年始を無くしてしまうのは不可能ですが、頭の中で「1年という時間設定に縛られている面はないか」と考えるのは自由です。個人的には、「今年の抱負」というのはやはり三日坊主になりがちだなぁ、と感じています(これは単に自分の性格の問題かもしれませんが)。ということで、来年は1ヶ月ごとに振り返りを行ったり、抱負を考えることを習慣にしてみようかなと思います。