セレンディピティは「幸運」ではない
堀内さんが昨日書かれたエントリ「セレンディピティの語源はライオンの住む島」(発想七日!)を読み、恥ずかしながら「セレンディピティ」が造語だったということを初めて知りました。堀内さんが
Seirenとか divaとか celebrityとかが連想され、なんとなく神秘的ですごそうな感じがあります。
と仰られている通り、僕もその響きから「古代ギリシャとかラテン語に端を発する言葉なんだろうなぁ」と思っていたのですが、勘違いだったとは。いや、元となった「セレンディップ」という言葉は、スリランカの古い名前ということですから、異国っぽい響きを感じてしまうのは半分当然ですよね。
せっかくなので、Wikipedia の「セレンディピティ」の項を読んでみたのですが、そこにもう1つ「ハッ!」とさせられる箇所がありました:
ただし、このような起源を持ち、辞書で上記のように説明されているにもかかわらず、日常会話などで、セレンディピティが発見する「能力」を指していると理解せず、発見した「幸運」と誤解してしまう人もいる。単なる幸運ならばluckとでも表現すれば済むところをあえてserendipityと表現するのはそれ相応の理由があるからなので、serendipityを単なる "幸運" や "偶然" と理解することはやはり誤解や理解不足と言える。
そう、セレンディピティとは「現象」ではなく「能力」と捉えなければいけないのですね。確かに「現象」だけを差すならば、単に幸運や偶然と表現してしまえば済むことです(ex. 「フレミングはペニシリンを偶然発見した」)。わざわざ「セレンディピティ」という別の言葉が存在しているのは、そんな幸運な出会いを掴み取る、見逃さないといった能動性を示すためでしょう(ex.「フレミングは偶然起きた失敗から、セレンディピティによってペニシリンを発見した」)。また結果をこちらから掴みに行っているのですから、「運」ですらなく「必然」と捉えるべきかもしれません。
奇遇なことに(これもセレンディピティ?)、以前読んだ本『メディチ・インパクト』をたまたま読み返していました。この本自体が「どうすれば偶発的な発見が起きやすくなるか」というテーマを扱っているのですが、その中にこんな一節があります:
このようにクリエイティブなアイデアはなんらかの偶然の組み合わせによって生まれるが、それには大きく分けて2つの種類があることが、これまでの研究でわかっている。
(中略)
二つ目のタイプは「心の準備のあるところに訪れる発見」と私が呼んでいるもので、これは「心の準備」をしていなければその意味がわからずに、容易に見逃してしまうような発見を指す。ある分野で熱心に何かに取り組んでいる人が、偶然のきっかけでそれとは直接関係のない事柄についての発見をする場合がこれにあたる。
著者のフランス・ヨハンソンさんは、こうした偶然のきっかけは「人を選ばず誰にでも訪れる」と述べています。画期的なアイデアが世に出たあとで、「なんでこんな簡単なことを思いつかなかったんだろう!」と感じることってありますよね。問題は「心の準備」をしておけるかどうか――まずはセレンディピティを「単に運が良かっただけの話」で片付けずに、常に様々なものに関心を持つことが大切なのでしょうね。