日本選手団の敵、それは日本語
陸上競技の世界選手権が開催されています。今回の世界陸上は大阪での開催ということで、地元である日本選手団の活躍が期待されたのですが……結果はご存じの通り。「そもそもメディアが期待を煽りすぎたのだ」という意見もありますが、メダルはおろか決勝進出まで手が届かない競技が続出しています。
この原因については様々な意見がありますが、ちょっと面白い分析が日経新聞に載っていました。2007年8月30日朝刊の第39面、東海大学体育学部の宮川千秋教授が「低調ニッポン“筋力”不足」という記事の中で、以下のように指摘されています:
日本選手団は今大会、他国と別のホテルに単独で滞在している。チームとして団結する狙いだったが、現実は宿が一緒というだけにとどまっている。伝達事項は個々に伝わり、行動も個々の日程に合わせて動く。
これが海外に行くと、チームとしての意思統一がしやすくなる。五輪ならば、英・仏語が公用語で、選手は日々の行動日程などささいなことも日本語情報に頼りがちで、おのずと監督の元に集まってくる。負けが込んだ時、「自分がやらねば」と責任感でがちがちの選手に向かって一言申す、という状況が生じやすい。
なるほど、日本語が溢れている状況(日本にいるのだから当然ですが)が逆に選手間の交流を阻害し、デメリットとなってしまっているわけですね。もちろん日本語があるから悪いというわけではなく、いくらでもコミュニケーションを促すことはできたと思いますが、海外では自然な交流が生まれやすいという指摘はなるほどなと思います。今回、試合後のインタビューで「声援に応えなくちゃというプレッシャーがあった」と話す選手がいましたから、仮に国外での開催であれば「たまたま情報を聞きにきていた他競技の選手に会い、緊張がほぐれた」ということができたかもしれません。
同じような状況は、スポーツに限らず私たちの仕事の中でも生まれていないでしょうか。IT技術の進歩により、メール・IM・ブログ・RSS・WEBサイトなどなどを通じて、いくらでも独りで情報収集することができます。それにより、誰にも顔を合わせずに単独行動することも可能でしょう。もちろんメール等で指示・報告はするでしょうから、コミュニケーションが取れていないわけではありません。しかし、上記で宮川教授が指摘しているような「組織としての意思統一を育むコミュニケーション」は生まれてこないのではないでしょうか。
そう考えると、逆に意図的に情報不足を生み出すことが、チームの一体感を生むことになるかもしれません。例えば多くの会社で「自社もしくはクライアントについて書かれた新聞/雑誌記事をまとめてデジタル配信する」ということをされていると思いますが、それを止めて、プロジェクトルームの片隅に紙媒体という形で置いておく -- それを目当てに集まった人々の間で会話が生まれる(「このニュースってこういう意味があるんじゃない?」etc.)、などということが実現できると思います。もちろんあらゆる情報を制限、もしくはアナログ配信してしまっては仕事になりませんが。
ということで、「なんだか今回の日本選手団は期待はずれだなぁ」と感じてしまった方、せっかくですから自社/自プロジェクトの状況を振り返ってみてはいかがでしょうか。団体のように見えて、実は個人競技しているメンバーばかりかもしれません。