「顔」が見えなければ、強引になる
なぜ人は満員電車に乗り込むとき、前からではなく後ろ向きになって乗るのか?-- この疑問に対して、秀逸な回答がありました。
すし詰めの電車に乗り込むとき、たいてい東京の通勤客は正面を向いて乗り込むのではなく、後ろ向きになる。普通とは反対のこの動作の理由として、混雑した車両に乗り込む際、膝やひじを先に入れるよりも、このほうが押しつけがましくないからだ、といわれることがある。だが、真実はたぶん逆だろう。割り込むときにほかの乗客の顔が見えなければ、好きなだけ強引になれるのだ。
(「TOKYOは国際金融センターになれるか!?英経済紙が斬る!“外貨恐怖症”のニッポン」、クーリエ・ジャポン2007年9月号 64ページより)
いやいや、満員の車内で目が合ったら嫌でしょ?相手のことを思って後ろ向きになってるんですよ -- と言いたいところですが、それも「他人の顔は見たくない」という気持ちの裏返しであって、結局は自分のことしか考えていないのかもしれませんね。いずれにせよ、「他人の顔を見ない->強引な態度を取っても心が痛まない」という説明は、けっこう当たっているように思います。
僕も他人のことを非難できないのですが、普段は大人しいのに、クルマを運転すると乱暴になるという人がいます。これなども、「顔が見えないと強引になる」という一例かもしれませんね。運転中は他のドライバーの顔は見えず、クルマという無表情の機械がそこにあるだけですから、少しぐらい無理なことをしても何とも思わないかもしれません。もしかしたら、そのクルマを運転しているのは高齢者の方だったり、これからみんなで遊びに出かけようとしている家族が乗っているかもしれないのに。
だからといって満員電車に正面から乗っても「何だコイツ?」と思われてしまうかもしれませんし、ドライブ中に周囲にいるクルマの乗客をチェックするわけにもいきません。しかし後ろ向きでも背後にいる人間がどう感じているか想像し、強引な行動を抑えることができますし、周囲のクルマを思いやることもできるでしょう。要は顔を見なくても/顔が見えなくても、他人の存在を意識して、自分と同じ生身の人間が行動しているのだと考えなければならない、ということではないでしょうか。
そういえば最近、リサーチをもとに典型的なユーザー像を創り上げる「ペルソナ」というマーケティング手法が注目されています。『ペルソナ戦略―マーケティング、製品開発、デザインを顧客志向にする』という本が発売されていたり、日経情報ストラテジーの2007年10月号ではまさしく「ペルソナマーケティング」が特集されていますね。これなども、通常ではなかなか見えない「ユーザーの顔」を想像できるようにして、より彼らの気持ちを理解しようという発想かもしれません。