「目」で世界をつくっていないか
『進化しすぎた脳』を読み終えました(書店で平積みになっているのを見て、つい買ってしまった本です)。中高生向けのレクチャーをまとめたということもあり、高度な内容ながらもすいすいと読み進むことができます。最近何かと「脳」が取り上げられていますが、興味本位なものも多く、部分的な情報が氾濫しているのではないでしょうか。その点、本書は脳の全体像からニューロンの構造という細部に至るまで網羅していて、幅広い知識を提供してくれています。
その中で、思わずハッとさせられた記述がありました。ちょっと長いのですが、引用してしまいます:
考えてみれば数百万種類もある色が、たった3つの光の波長に還元されちゃうんだから、光の三原色っておもしろいよね。この三色の原理って、ずいぶんと古い時代から人間はちゃんと知っていた。そして、後世に「生物学」が発達して、目という臓器に化学のメスが入ると、なんとまあ、その赤・緑・青の三色にまさに対応した色細胞が網膜から見つかって世の中の人は驚いたんだ。「三色の原理は生物もちゃんと知っていて、それに対応させて網膜を発達させたんだな。……人間の目とは、やはりうまくできているもんだなあ」と。
でも、それってそんなに驚くべきこと?だってさ、ほんと言うとこれって当然なんだよ。光というものはもともと三原色に分けられるという性質のものじゃないんだ。網膜に三色に対応する細胞がたまたまあったから、人間にとっての三原色が赤・緑・青になっただけなんだよ。もし、さらに赤外線に対応する色細胞も持っていたら、光は三原色じゃなくなるよ。
(中略)
だから、本来限られた情報だけなのに「見えている世界がすべて」だと思い込んでいる方が、むしろおかしな話でしょ。
この部分、「目ができたから、世界ができた」というタイトルが付けられた章に登場します。つまり世界があって、それを見るために最適な仕組みを人体が発達させたわけではなく、あくまでも人体に「見える」部分しか人は「世界」として認識していない、ということですね。実際、もし赤・青・緑よりもっと波長の長いラジオ波が目に見えていたとすると、見えるものがゆがんだり、建物の向こう側にいる人まで見えてしまうそうです。そうなれば、「世界」はまったく違ったものになるでしょう。
同じような勘違い、つまり「自分が見えるものが世界の全てである」という誤りを、私たちは普段の生活においても犯しているのではないでしょうか。例えばあまーい洋菓子を売るのが仕事だとしましょう。かつてそのお菓子を好むのは若い女性だけだったため、彼女達のデータを様々な角度から収集し、商品開発やマーケティングに反映させていたとします。結果、売上げが順調なため「やはりお菓子は女性が食べるものだ」と思っていたら、実は「年配の男性が甘いお菓子を食べるようになっている」という環境変化を見逃していて、対応もせず市場がそこに存在していることすら気付かない……なんてことが起きているのではないでしょうか。
「目」が世界をつくってしまうのを防ぐために、いつも見ているデータからちょっと目を外して、「赤外線」や「ラジオ波」を見る努力をしてみる。その結果、壁の向こう側にいて見ることのできなかった、まったく新しい世界が広がっているのを発見できるかもしれません。