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つくること - 思い = ゼロ

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昨日の平鍋健児さんのオルタナティブ・ブログ"An Agile Way"で、こんな言葉が紹介されていました:

船を作ろうと思ったら、人々に材料を集め、作業を分割し、指示を与えようとしてはならない。最初にすべきことは、果て無き広大な海への憧れを語ることだ。

-- サンテクジュペリ

最初に構築すべきもの、それは信頼である。
-- ブラッド・アペルトン

短いですが、重みのある言葉です。平鍋さんは記事の中で、「『つくる』ことの本質は何だろう、それは、『おもう』ことと関係しているのではないか」とコメントされていらっしゃいますが、仰る通りだと思います。「つくること」から「思い」や「願い」、「憧れ」を引いてしまったら、できるのはただの物体。何も残りませんよね。

いや、「思い」のない「つくること」は、何も残らない以上の害悪をもたらすかもしれません。例えば今朝、こんな記事を目にしました:

自然生かした川づくり 9割が「不自然」 (Sankei WEB)

「河川が本来持つ生物の生育環境を生かし、美しい自然景観をつくりだす」ことを目的として、国交省が主導してきた「多自然型川づくり事業」を調査したところ、9割の現場で逆に自然破壊が進んでいた -- という内容。ひどい例では、もともと自然が豊かだった堤防を、コンクリート護岸で覆ってしまったケースまであるそうです。

国交省はこの原因として、「誤解の蔓延」「専門家の不足」などを挙げているようですが、それは表層的な問題に過ぎないのではないでしょうか。「多自然型川づくり事業」の目的は何か、何を願っているのかが理解されていれば、現場で「何かおかしい、専門家に聞いてみよう」という意見が生まれたはずです。「思い」が欠けていたために、「上から言われたことをやろう→指示が不適切・不十分でもその通り実行する」という態度が蔓延してしまったのではと思います。

どんな仕事であれ、日々何かをつくり出しています。手に取れるモノかもしれませんし、大規模なプロジェクトの場合もあるでしょう。音楽や映像、文章などの芸術もあれば、プログラムやWEBサイトなどデジタルなモノもあります。どんな「つくる」にせよ、それに携わる人々の間で「思い」が共有されていなければ、まったく逆のゴールに到達してしまうかもしれない・・・2つの記事を読んで、そんなことを思いました。

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