オルタナティブ・ブログ > シロクマ日報 >

決して最先端ではない、けれど日常生活で人びとの役に立っているIT技術を探していきます。

えんぴつで書くことの良さ

»

昨日のRBB TODAYに面白いコラムがありました。小笠原陽介さんが、ブログを後から修正することについて語られたものです:

ブログは鉛筆で書かれている( 小笠原 陽介 浅慮も言っとく)

ブログが簡単に修正可能なことを「鉛筆で書かれている」という巧みな例えで表現されていますが、それによって従来の活字メディアとの「重さ」の対比を感じることができます。確かにブログはえんぴつで書かれたものでありながら、それを広く世に出版してしまうような行為なのかもしれません。活字という修正不可能なもので発せられた意見よりも、軽く感じられてしまうことは確かにあるでしょう。

しかしブログが「私たちが「文字」に寄せて来た信頼を根底から変えつつある」という部分は本当でしょうか。僕はブログの台頭により、活字メディアの「重み」はむしろ増しているように思えます。ブログにより誰でも情報発信できるようになったことが、逆に一部の責任ある人々(誤った情報を発すれば、発信者として特定されて責任を問われるという意味)により、修正不可能なメディアを通じて発せられる情報の信頼性・クオリティの高さを際立たせているという面もあるのではないでしょうか(もちろん全ての活字メディアが良質なものばかりではありませんが)。その意味で、ブログの中にある言葉が軽くなっているとしても、言葉全体から重みが失われているとは思えません。

また逆に、「えんぴつで書く」ことの良さにも目を向けるべきなのではないでしょうか。確かに一度アップしたブログのエントリ全体を書き換えることには僕も反対ですが、アップした時点で得ていなかった情報の追記や、誤字・脱字の修正、文章の意味を変えない程度の表現の変更は認められるべきだと思います。それが「とりあえず情報を発信しよう」という気軽さを生み、速報性や良い意味での主観性といった、ブログの利点を作り出す結果となります。「修正可能」の短所を批判するだけでなく、こういった長所にも目を向けるべきでしょう。

ブログは簡単に・安価に始められて、誰でも使えるという点でも「えんぴつ」という例えに当てはまるかもしれません。また普段は活字を使っている人でも、下書きにはえんぴつを使うことがあるでしょう。えんぴつと活字という2つのツールは、使い手や使われる目的が異なるという点を理解した上で、お互いの長所を高めあうような関係を模索していければ良いのではないかと思います。

Comment(4)