職場の先輩との「差の詰め方」と「追い抜き方」
多くのビジネスパーソンの能力的成長は30代前半で止まる。なるべく早く、将来にプラスとなるような時間と努力の投資を行いたい。
技術の状況による先輩・後輩の条件のちがい
エンジニアである読者の皆さんは、ご自身の仕事の能力に対して、何らかの自信とプライドをお持ちのはずだ。例えば、同じ職場の先輩社員に対して、「自分の方が出来る(のではないか...)」などと思っておられる場合も少なくあるまい。人間としても、ビジネスパーソンとしても、そのくらいの負けん気があるのでなければ面白くない。
もっとも、近くにいる先輩があまりに優秀で、先輩との差をどうやって詰めたらいいのかと考えると、気が遠くなるような状況の読者もおられるにちがいない。
後者の状況は、精神的には当面大変かも知れないが、ビジネスパーソンとしてのキャリアを考えると、実は、大変恵まれた状況だ。自分よりも出来ないように見える先輩と一緒に働くのと、自分よりも遙かに出来る先輩を手本にしながら働くのと、数年後の自分に取ってどちらがプラスであるかは、言うまでもなかろう。本連載で何度か申し上げたことの繰り返しになるが、「優秀な人が多くて、忙しい職場こそが『いい職場』だ」。
さて、仮に先輩社員と後輩社員がお互いが持つ技術で競う場合、現在その技術分野の状況がどのようなものであるのかに大きな影響を受ける。
その技術分野が、現在急速に進歩している分野なのか、ある程度基本が固まって積み重ねの下にゆっくり進歩している分野なのかで、先輩・後輩の競争ゲームの状況は大きく変わる。
技術分野自体が新しくてベースになる学問自体が急速に変化している場合なら、知識が古い10年選手よりも、大学の学部ないし大学院で最新知識を学んだばかりの後輩の方が、既に技術的に優れているといった事態が十分起こり得る。しかし、技術の基本があまり変化せずに、その応用の経験の積み重ねが「差」を作り出すような分野の場合、後輩が先輩に追い着き・追い抜くことは、相対的に難しくなる。
投資を巡る金融テクノロジーの場合
一例として、エンジニアではなかったが、筆者の経験をお話ししよう。
筆者が、自分の「本業」だと今でも思う投資の世界に入った、1980年代の半ばは、投資の技術は、自分のセンスを信じていわゆる「切った張った」の勝負に興じる相場師的な世界、あるいは企業の将来性や財務データを分析すると勝てると素朴に信じる古典的な証券分析(「ファンダメンタル分析」と呼ぶ)が主流だった。
ところが、1980年代に入って、日本の投資業界にも、当時「モダン・ポートフォリオ理論(MPT)」と呼ばれた、これまでの方法よりも数学的なテクニックを深く使う理論が輸入され普及し実用化されつつあった。MPTは、先進国だった米国の学問(≒専門誌の論文)ベースでは、1960年代、1970年代に大きな業績が多数生まれたが、日本ではバブル経済の後押しを受けながら少し遅れて取り入れられたのだ。
筆者は、1980年代半ばから1990年代前半にかけて、いわゆる「ファンドマネージャー」(お金を運用する専門職)の仕事に携わる若手中堅社員だったが、この分野の新しい知識を吸収するスピードは、当時の筆者の同世代の方が、先輩社員世代よりも早かった。当時は、先輩社員よりも筆者の世代の若手社員の方が仕事に必要な専門的な知識が豊富だという「専門スキルの逆転現象」がしばしば起きていた。筆者にとっては、張り合いのあるいい時代だったが、先輩世代には大変な環境だったかも知れない(読者にも、先輩の側に立つ時が来ることを忘れない方がいいと申し上げて置く)。
専門知識がないので残念ながら想像の域を出ないが、現在脚光を浴びている、たとえばAI(人工知能)のような分野では、若くて新しい知識を持っている後輩社員の知識が、先輩社員のそれを凌駕しているというようなケースが多々生じているのではないだろうか。こうした分野は、先輩社員にとって厳しいかもしれないと拝察する。
もっとも、個々の技術分野あるいはビジネス分野には、有効な発展が集中して急速に進歩が生じる時期と、その後にしばらく画期的な変化がない中で詳細化や研究の細分化が進むような停滞期が、交互に訪れる場合が多い。
因みに、投資の世界では、1990年代後半以降「金融工学」や「行動ファイナンス」と呼ばれるような新分野が流行したが、仕事のやり方が大きく変わるような成果は案外生まれていない。前者では妙に詳細な数学化が進み、後者では数学が出来ない人もファイナンス(金融論)の研究者を名乗ることが出来るようになったという程度の変化で、運用の実務を変えるような新技術については停滞感がある。投資の先進国である米国でも、市場平均を上回ることを目指す「アクティブ運用」が減って、株価指数に連動して市場平均並みを目指す「インデックス運用」の資金額が猛烈な勢いで増えている。
近年は、証券アナリスト向けの専門誌を見ても、企業のガバナンスだのアナリストの倫理だのといった世間常識的な話題が取りあげられる事が多く、「これは実務に応用できる新研究か?」とワクワクするような論文には殆どお目に掛からない。筆者は少し残念に思っている。
平日に追い着いて、土日で抜け!
さて、読者がご専門とされる分野はどのような状況だろうか。そして、読者と身近な先輩との技術的な力関係は、現在どのようなものなのだろうか。
もちろん、相手である先輩がどのような人なのかによるところが大きいのだが、一般的には、近くにいる優れた先輩との技術差に追い着き、出来れば追い抜くことを計画的に目指したい。
「追い着く」のは、もちろん早い方がいいに決まっているが、大まかな目処を言うなら遅くとも自分の「30代前半」でだ。こと専門分野にあっては、いつまでも競争力を保ち続ける稀有な人(全体の1割もいない)を除くと、多くのビジネスパーソンの能力的成長は30代前半で止まる。残念ながら、本当に止まる場合が多いのだ。
漠然とした目処として30代前半、遅くとも「35歳」には、自分の先輩に仕事で追い着き、出来れば追い抜くことを「専門家」としては目標としたい。
もちろん、もともと持っている個人の素質の差や、ビジネスパーソンとしての巡り合わせ上の運不運が異なるので、目標とした先輩に必ず追い着けるとは限らないが、具体的な目標があることは悪くないことだ。
技術的な仕事に限らず、営業のような仕事でも同じだが、目標とする人物に追い着くためには、「相手を真似ること」と「差を付ける努力」とを同時並行的に進める必要がある。
大まかな心掛けを言うなら、「平日は目標とする先輩の仕事振りを真似て彼(彼女)に追い着く努力をして、土日に自分独自の勉強をして抜き去った後の『差』を作る準備をせよ」ということになる。
優れた先輩の真似をするのは、概ね効率のよい勉強法だ。先輩の長所を全力で取り入れようとするなら、自分が思っていた以上のスピードで自分が進歩する場合が多い。具体的な「手本」があることに感謝しよう。
しかし、真似するだけではなく、先輩に何らかの形で差を付けるくらいの準備をするのでなければ、たぶん、追い着くことすら出来ないし、追い着いても認めて貰えないだろう。また、技術の世界もビジネスの世界も、それなりに進歩しているので、「現在立派な先輩」が立っている地点を目標とするのでは不十分な場合が多い。
近年「働き方改革」が唱えられるようになり、多くの若手社員はおろか、就職を目指す学生まで「ワーク・ライフ・バランス」を気にするようになった。もちろん、心身の健康は大切だし、気分転換や家族サービスも大事なのだが、人材価値の多くは、主として本業での他人との「差」によって生まれる(小さくても「差」があることが大事なのだ)。土日が休みである場合、せめてその一方の半日くらいであっても、将来にプラスとなるような時間と努力の投資を行うことが肝心なのだ。
付け加えるなら、自分の人材価値への「時間と努力の投資」は、なるべく早くに行う方がいい。理由は、投資の成果を長く受け取ることが出来るからだ。
本稿は、先輩に追い着くことを目指す若者の立場から書いた。だが、よく読んで頂くなら、先輩の側に立つ者が何をしなければならないのかも明らかだろう。職業人生の時間が延びているのだから、後輩に簡単に追い着かれてはいけない。
人材価値にも、そのベースとなる職業スキルにも、不断の更新投資が必要だ。