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働くエンジニアは「子供」についてどう考えるか

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子供を持つか、持たないか。持つならば「何時」持つか。教育費や、いつか子育てが終わることも視野に入れ、「子供」について考察する。

子供を持つか、持たないか

 エンジニアに限らず、働く人々にとって、自分の「子供」についてどう考えるかは、人生の大きな問題だ。親にとって、子供は、「生き甲斐」でもあり、さまざまな「負担」や「心配」の種でもある。

 エンジニア読者は論理的なので、先ずは、子供を持つか、持たないか、の選択から考えてみることにしよう。

 実は、子供の問題は、この段階から大変難しい。子供を持った方がいいとも、持たない方がいいとも、言い切れない。

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 かつては、大家族が一般的だった頃の昔の農家をイメージして頂くといいが、子供は家業のための「貴重な労働力」であり、老後の自分の面倒を見てくれることが期待できる「生きた年金兼介護保険」のような存在だった。また、国や社会も、国力の増強を求めて、子供に関しては、「産めよ、増やせよ」がキャッチフレーズであった。

 しかし、子供を家業の労働力としてあてにするというような産業構造では無くなると共に、進学率が上がり、親世代が経済的に一人前の大人になる年齢が上昇し、晩婚化が進んだ。加えて、教育費をはじめとして、子供を育てるのに必要なコストが着々と上昇して、子供を持つことの経済的な負担の大きさが、潜在的な親世代にあって意識されるようになった。

 近年研究が進んでいる「幸福の経済学」の調査によると、子供が生まれることそれ自体に対しては「幸せが増加した」と感じる親が多いようなのだが、余暇の時間の減少、育児のストレス、経済的な負担などを加えて「子供が生まれること」の幸福感への影響を評価すると、どうやら、総合的な効果はややネガティブらしいという結果を聞くことが多い。

 それでも子供が欲しい人は子供を持てばいいし、自分は子供を必要としないという人は子供を持たないことを恥じたり、申し訳なく思ったりする必要は無い、と筆者は思う。ちなみに、筆者は、自分の子供が欲しかったし、幸い子供がいるのだが、これは単に筆者がそうだったというだけで、一般化できる話ではない。

 場合分けから始めて、スッキリ論理的に話を進めようと思っていたのだが、出だしから躓いてしまった。

子供を「何時」持つか?

 続いて、子供が欲しいという前提で話を進めるとして、何時子供を持つのかが大きな選択の問題になる。特に、働く女性にとって大きな問題だ。

 現実には、女性が高学歴化して、晩婚化していること、働く女性も増えていることなどを背景に、女性の第一子出産年齢は高齢化しているのだが、筆者は、「できるなら」なるべく若い年齢で子供を産む方が、総合的に都合がいいのではないかと考えている。例えば、35歳で子供を産むよりも、25歳で産む方が、いいのではないかという仮説を持っている。

 理由は以下の四つだ。

 第一に、出産と初期の育児には母親が主に関わることになるが、「十分に働けない期間」が2年程度生じてしまう。この2年間のコスト(経済学的では「機会費用」という)を、まだ若手で必ずしも重要な仕事をしていない「25歳」時点で負担するのか、組織の中でより重要度の高い仕事をしている可能性が大きい「35歳」時点で負担するのか、と考えた場合に、25歳の方がいい場合が多いのではないか。

 第二に、より体力のある25歳の出産の方が、35歳の出産よりも、体力的なダメージからの回復が早いことだ。

 第三番目の理由は、現実には、子供を持ちたいと思った場合に、必ずしも直ぐに子供を持てるわけではなく、どうしても子供が欲しいと思った場合に、35歳時点よりも、25歳時点の方が、子供を産むことが出来る可能性のある持ち時間が長いことだ。

 第四番目、最後の理由は、早く子供を産む方が、子供が大人になって手が離れるのが早くなるので、中高年期の親の生活の自由度が高まることだ。

 こう考えると、早い出産の方がいいことずくめのようだが、その分、楽しみも多く、結婚相手をゆっくり選びたいと思っている若い時分の時間を、先ず結婚を決断した上で速やかに出産・育児に投入しなければならない。そして、もちろん、早く子供が欲しいと思っていても、結婚して子供を作ってくれる相手(男女とも)がいるかどうか、という極めて現実的な問題がある。

教育費をどう考えるか?

 現実的には重要な問題として、子育てに掛かる費用、特に教育費をどう考えるかという問題がある。子供を持つことに消極的な若いカップルの中には、教育費をはじめとする経済的な負担に対して自信を持てないことが理由の場合が少なくあるまい。普通の勤労者家庭のファイナンシャル・プランニングを考えると、その懸念はもっともだ。

 地域により、また、どのような教育を目指すのかによって異なるが、子供が幼稚園から始まって大学まで行くとすると、全てを公立に通わせるとしても通常は1,000万円程度の学費(授業料だけでなく給食費、教科書代などを含む)が掛かるし、私立の学校が混じったり、塾や予備校に通ったりすると、子供一人当たり1,500万円程度の出費を覚悟せざるを得ない。

 さりとて、大学の教育内容にそれだけの価値があるのかどうかは不明だが、大学に行く方が行かない場合よりも、生涯所得が数千万円の単位で多いと言われていることなどを思うと、自分の子供には、大学卒業程度の教育を施したいと思う親が多いのが現実だろう。

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 しかし、子供の教育費の金策に苦労したり、或いは、教育費を支払った結果、親の老後に十分なお金が残らなくなったりする場合があるなど、教育費は心理的にも経済的にも相当に「厄介な支出」だ。

 一つの考え方としては、大学卒業のメリットを主として受けるのは子供本人であり、大学に行くことで本人の将来の所得が増えるのだから、学費の一部分を奨学金で賄い、主として子供自身に負担させるという考え方があり得る。或いは、対外的な借金や金利負担が嫌であれば、親が子供にお金を貸すという選択肢もある。

 子供に借金を背負わせるのは可哀想だという声も聞くが、昨今は有利子の奨学金でも利息が低水準であることもあり、筆者は、学生のアルバイトにはあまり賛成しないが、奨学金には割合ポジティブな意見を持っている。

 なぜなら、自分の能力に対して集中的に時間と努力を投資できる大学時代の貴重な時間を、時給の安いアルバイトで削るのは「もったいない!」が、良い企業に就職して数年経つと、アルバイトの時給の2倍くらいの効率で稼げるようになるので、将来の稼ぎで大学時代の時間を買うことが効率的だと言える。確実に返済できる見込みがあり、利率が高くないのだから、奨学金はビジネスの借金に近い「良い借金」であると言える場合が多いのではないか。

 尚、筆者は、数年間大学で授業を持っていたので、勉強に時間を使わない学生に対する見方が普通の人よりも厳しいかも知れないが、学生が部活やアルバイトに時間とエネルギーを費やすことの無駄は、企業人の観点で学生を見ていて強く思ったことでもある。

 もし、読者の大学生のご子息が、部活動やアルバイトに時間を費やしていて、勉強時間が少ない生活をしている場合には、この点について一度諭してあげて欲しい。もっとも、若い頃は時間がまだまだたくさんあると思いがちなので、「あなたが持っている、今の時間が貴重なのだ」というメッセージを子供に納得させることは簡単ではない。

子育て、その後

 ここまで、子供を持つことの「コスト」の面ばかりを強調したきらいがあるが、親にとって子供の成長ほど楽しみで純粋に喜べるものはない。世の中にあって、心から、そして掛け値も駆け引きもなしに応援できるのは、自分の子供くらいのものだ。それは、子供が巣立ってからも続く。これは、子供を持つことの素晴らしい一面だ。

 さて、終わらない場合も時々あるので「必ず」とまでは言えないのだが、たいていの場合、子育てはいつか終わる。

 この時に、「親離れできる子供」であることと、「子離れできる親」であることが親子双方にとって大切だ。

 近年、問題だと思うことが多いのは、子育てに全てを注ぎ込んで、子供以外の生き甲斐がなくなってしまった親が、いつまでも子供の自立を妨げるケースだ。

 或いは、子供に巣立たれてみて、呆然とする親も可哀想だ。

 親子共に、それぞれの分野で個人として社会と前向きな関わりを持ち、両方がお互いを尊重するような親と子供になった時が子育ての完成型であり、そのために、親は子供が大人になっても生き生きと自分が活動する場と能力と意欲を持っていなければならない。

 子供を育てるのと同時に、親は自分自身をも育てていく必要があると言えそうだ。「大変」なのは確かだが、世の中に「大変でないもの」で真に面白いものは無い。無理にとは言わないが、やる気とチャンスのある方は、是非子供を持つことにチャレンジしてみて欲しい。

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