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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

アナウンサーにはなれそうもない話

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セミナーなどで人前で話をする機会は多い方だと思うけれど、今日のはちょっといつものとは勝手が異なっていた。正確に言うと人前ではなく、ビデオ・カメラの前だった。記録して社内向け学習資料として使うことを意図しているのだそうだ。15分番組を2コマこなしたので話す時間は実質30分と大した事はないはずなのだが、気分的には2時間くらいしゃべったような気がする。

ビデオ収録は今回が初めてというわけではないが、久し振りだったので何度目であったとしても大した変わりはない。要するに進歩がないと言い換えることもできる。いつもの人前での話ならばリラックスして取り組めるのであるが、実はカメラを前に少々緊張したのである。終わった後に自己分析してみると、慣れない対象物を相手に、しかも15分の枠内で凝縮した内容にしなければならないと意識した点が、結果的に自分に対するプレッシャーになったような気がする。秒単位で時間に正確に、かつ言い澱むことなく、視聴者にポイントを的確に伝えることができる、アナウンサーと呼ばれる人達の偉大さをあらためて感じた次第である。ああいう芸当を連日こなすなんて、僕にとってはあり得ない事だ。

それに比べれば自分の方は、理屈ではわかっているのだけれど、カメラの向こうに人がいるという意識を持つことができず、どうしても次第にまくし立てるような調子になってしまった。人前だったら時々間を空けながら、予め目星をつけた何人かの顔色を伺いながら話をすればよいし、言い忘れたポイントがあると思ったら話を行きつ戻りつさせる事だってやっている。ところが反応がないカメラ相手ではそうもいかず、ただひたすらに話を先に進めて行くことにしか意識が向かわない。僕にとっては、カメラの向こうに人はいないのと同じである。さらに、できるだけカメラ目線でと事前にガイドを受けていたものだから、もしかしたら睨み付けてしまったに違いない。もちろんカメラを睨めなどと指示されたわけではないのだけれど。

いずれビデオの公開直前レビューのために、編集済み最終版が送られてくるのだろう。自分の姿や音声を自ら見直し反省して今後に活かせれば良いことはわかっているのだが、どうしても面映いと言うかこそばゆく感じる方が先になってしまう。途中で恥ずかしさにいたたまれなくなって、いい加減にレビューを打ち切ってしまい、「まあ、いいんじゃないっすか」とコメントするのがこれまでの常であった。いや、本来はそうあってはいけないはずだ。カメラの前のプレゼンテーションだって、スキルとして立派な一つの要素であるはずだとは思うのであるが、このまま何事もなくビデオだけが勝手に公開されてしまうのでもいいや、と半分くらい本音で思っていたりするのである。

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