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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

天変地異を考える

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日食が22日の水曜日と迫っていることもあり、その関連のニュースを目にする機会が増えてきた。国立天文台のホームページによると、東京で最も食が進むのは11時12分58秒である。どうなるかわからないが、とりあえず当日のスケジュールに書き入れておいた。チャンスがあれば何とか観察してやりたいものだ。昔は厚い下敷きなんかを通して観察しましょう、なんて言われていたと思うのだけど、「眩しくない」ことと「安全」であることは違うのだそうだ。随分といい加減だったものだ。専用フィルターを予め購入するほど力が入っているわけでもなく、どうやって観察するかなんて考えていないけど、ピンホールを通せば良いらしいので、何とかすることはできるだろう。使いかけのテレホンカードくらいならどこかにあったはずだ。

こういう天変地異(?)があったりすると意味も無くウキウキしてしまう方である。本当の天変地異だったら呑気に観察なんぞをしている余裕はないけどね。彗星が見られるなんていうのと違って、日食は日中に見られるのでまたとないチャンスだ。次回の皆既日食は26年後だそうだから、今のような不摂生を続けていたら、その頃には寿命が尽きているかもしれない。大袈裟に考えると、生涯最後かもしれないというわけだ。

都会で普通に生活している分においてはちょっと天気が悪いな、という程度だっただろうけれども、こちらの方は当事者にとっては天変地異だったに違いない。気象の変化の激しさに、ガイドを伴った夏山にも関わらず、大雪山でかなりの遭難者が出たそうな。登山人口における正確な年代別構成比はわからないが、中高年の比率が高まっており、そして体力が相対的に劣っていることから、遭難者に占める割合もかなり高いらしい。一般的には状況判断力は若年層よりも優れているはずだが、自然の方はそんなことをものともしない、ということなのだろう。

かつては僕も頻繁に登山に出かけていたことがある。事故と言えるものには遭遇することはなかったが、だからといって常に安全だったかと言うと必ずしもそうではなかった。台風が九州近辺に接近していたので、風速20メートルを超える中を歩いたこともある。天候の不穏な動きを察知して、その日は行動するべきでなかっただろう。ばててしまって半ばフラフラになりながら、それでも山小屋まであと少しということで、崖っぷちを四つんばいになって進んだこともある。一歩足の運びを間違えていたらどうなっていたかわからなかったろう。それでも何とか事故に合うことはなかったのは、わずかながらでも、体力に余力が残されていたからかもしれない。

件の大雪山の遭難についての新聞報道によると、ツアー参加者の方がガイドに中止を進言していたらしい。ガイドの年齢はわからないが、もしかしたら参加者よりも若くて体力に溢れていて、そしてツアー参加者の体力レベルをよく理解できなかったのかもしれない。そして報道のとおりだとしたら、ガイドではあっても、登山パーティーのリーダーではなかったということだろうか。

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