オルタナティブ・ブログ > 平凡でもフルーツでもなく、、、 >

感覚人間の思いつき、、、気になった記事、、、雑記等

大儲けするだけが独立・起業の目ざす到達点ではないと思う

»

大きくて潰せない…バブル崩壊から幾たびもこういう話を聞かされ、税金が使われたり、銀行が借金棒引きして企業が再生したり、その後財政状態が回復し、一般庶民からすると驚くべき金額の報酬や賞与、はたまた退職金に関して補填的な措置がとられたり、社会的存在価値が高い会社、大規模で雇用環境の維持、組織存続が取引銀行にとっても必要という判断をしてもらえる会社に勤めていられるというのは、日本の雇用制度の中で1度こういう大規模組織に正社員として雇われることの安定性含め、昔「不確実性の時代」なんて書籍が売れた時期がありましたけど、ほんと凄い事としか言いようがありません。

頑張った人が評価される事はとても大事、生まれながらに優秀な人、優秀な人に安心して仕事をやってもらうためには安定した職場、雇用環境の提供が大事ということも理解できます。

ただ問題は、社会のピラミッド構造の中で、その頂点とはいわないまでも、中間から下層階級の人たちが多少の失敗を繰り返しつつも、やり直しがきく社会ってどんな形なのだろう?と考える機会がとても増えています。

日本で起業する人の割合が低いので、その辺のハードルを低くするために、資本金1円とかでも起業できるようなシステムに移行したりしてますが、やはり会社を経営していくことって、計画(スケジュールに従い)、約束事をちゃんと果たして、お金をいただくという事の繰り返しですから300万なり1000万なり起業にあたってのハードルをクリアするための計画を立て、資金繰りが出来る資質は絶対会社経営には必要だと思います。

つまりこれら起業するための素養をもっている人が、300万なり1000万の資金を準備する時間がビジネスチャンスを逸してしまってはもったいない…という観点において会社設立の手続きが簡易になった意義が生まれる訳です。

この辺の手続きや制度の問題については今回は触れませんが、今の日本で結婚して子供2人を大学卒業させるだけでも大変、そして零細会社であってもそこで働いてくれる人に給料を払い、雇用を創出するという日本を草の根から支える事をやっていてもそこに対する評価ってあくまで当たり前の事として処理されていますけど、資金繰りの面で経営者が自分の個人資産をやりくりしながら、景気の良いとき、悪いときを乗り切ろうと頑張っている立場からすると、5200億円の債権放棄が認められるというニュースは、多分自分が銀行にお金返すのまってください…と言った時に起きる反応を想像、その落差に落胆する訳です(苦笑)

何事物事にはリスクがあって、成功なり失敗なり何かしらの結果が伴うものですが、大儲けするだけが独立・起業の目ざす到達点ではないと思うのです。

自分と家族、そして手伝ってくれるスタッフに適切な報酬が支払っていける収益を確保して、できるだけ自立した形で社会と関わっていきたいという考え方の独立・起業というスタンスもあるわけで、債権放棄とかルール無視の救済策が欲しいとは思いませんけど、

こうやって救済される人と、されない人の差ってほんと何なのだろうな…と

小泉政権時代のセーフティネットの拡充だったり、阿部政権時代においての再チャレンジ政策などがありましたけど、自分のような零細会社の経営者にとってこういう施策が実行されることの意義はとても大きいのですが、こういう施策が必要な状態というのは「負け組」が多数発生する事が事前に想定されるからこその施策だという指摘もあり、総中流社会と言う世界にも類をみない国民意識を生み出した日本においての横並び意識であったり、出る杭は打たれる、リスクはできるだけ最小限に…という考え方が支配的な社会状況においては独立・起業を奨励すること自体に一部無理があるのかもしれません。

「アリとキリギリス」的に考える事もできるのですけど、社会生活における多様化という観点で見たときに、先進国である日本であればもう少し豊富で、質を高めていく取り組みをすべきで、そういう形が実現し様々な人たちにの目に触れることがさっき言った独立・起業を増やしていくために大事な下地になると思うのです。

今回のエントリと併せて読んでいただきたい、オルタナブログはこちら

Comment(0)